#24 1つ2つ?本当の「感謝」の数はいくつですか
みなさんは、人から何かをしていただいたとき、心の内で本当に「感謝」の気持ちを抱いていますか。
ごく近い人以外は「拒絶」していた数年」までの私は、「口」では、「ありがとう」と言っていても、心の内では「感謝」の気持ちを、抱いていなかったのかも知れません。
そんな人を「拒絶」していた数年前に、地方に移住していた「母」が、「介護施設」に、入居することになります。
一つ気がかりなのは、母は、「双極性障害Ⅰ型」という、おおきな「精神的病」を抱えていることでした。。
とは言え、たかをくくっており、入居費は「年金」で賄えるので、「お金」さえ、払えば「入居」させてくれるだろう。と考えていたのですね。
ところが「現実」は、「精神的病の母」を、受けいれてくれる施設はなく、入院先の「退院」もせまり、窮地にたたされます。
「ソーシャルワーカー」さんからの「紹介」で、藁にも縋る思いで、訪れた施設で出会った「ケアマネージャー」さんが、力を尽くしていただき、施設が決まります。
その後も、東京から、なかなか行けない、私にかわり「通院・手続き」など、ありとあらゆることを、していただきました。
やがて、その「ケアマネージャー」さんは「定年」を迎えることに、それでも「後任者」が見つかるまで「定年延長」をして対応して下さいます。。
本当に助かり、私の中で「やってもらって当たり前」という「感情」は、消えていました。
自然と「デパート」に向かい、いままでの「御礼」と「定年祝い」の贈り物を、探している私がいます。
こんなに「相手」への「感謝」の気持ちや、「相手の喜ぶ顏」を想像して、「贈り物」を選ぶことは、今まで無かったかもしれません。
コロナ禍により、「最後のご挨拶」が、「電話」になってしまったのが、心残りですが、あの時の電話で「ありがとうございました」と伝えた時に、私自身がおおきく変わったと「実感」しました。
まだまだ「やってもらって当たり前」の「感情」が顏をだす私ですが、「やってもらって感謝」に、徐々に切り替えることができ始めています。
最近は、「自分以外の人」の「行動」に「一喜一憂」することも減ってきました。
なぜなら「やってもらう」ことは「当たり前」ではないからと、気付いたからだと思います。