昭和少年らっぽやん 第六話 「神様とんぼ」
日本の一部地域では、子どもたちの間でトンボとりの名人のことを「らっぽやん」と呼ぶ。
* * *
昭和30年8月半ば、連日の真夏日が続いていた。
ミノルは、四日市の病院に勤める叔父の援助で、無事名古屋大学の理学部に進学していた。
大学からの帰り、乗っていた市電の窓から、タケシが有名なストリップ劇場の看板の絵を描いているのを見つけ、東郊通り一丁目の電停で飛び降りた。
劇場へ行ってみたが、書きかけの看板の前にペンキの缶と筆や刷毛が数本置いてあるだけで、タケシの姿は無い。
不審に思い劇場の裏へ回ってみると、ちょうど劇場の真裏の板塀に、タケシが顔を寄せて中を覗いている。
「こら!逮捕するぞ!」
ミノルが叫ぶと、タケシは「ひえ~」と言って振り返らずに走り去ろうとした。
「タケシ、オレだよ、ミノルだよ!」
逃げながら上半身だけで振り向いたタケシは、顔が引きつっていた。
劇場から少し離れた駄菓子屋の店先のベンチで、ミノルはタケシを驚かしたお詫びに、アイスキャンディーを驕った。
タケシはキャンディーを舐めながら、まだ汗だくだった。
「あー!びっくりした!」
「仕事をほったらかして何を覗いとったんだ?」
「憧れのスター、アケミ姉さんに決まっとるがや。
看板の絵をよりリアルに描くには、まず観察だでね。」
「それなら劇場の中で観察した方がいいのと違うか?」
「そんな金があったら苦労せんわ。」
「というか、楽屋裏のアケミ姉さんが好きなんやろ?」
「こんな暑い日には、アケミ姉さんがあられもない姿で、
かき氷食べとるんや。色っぽくてかわいくてなあ。」
「そうか。踊り子のお姉さんたちも、暑い中、
大変だろうなあ。」
「オレたち労働者は、みな汗水たらして大変なんよ!
学生のお前にはわからんだろうけどな。」
「・・・そうだ、アケミ姉さんを、あそこへ連れて行ってあ
げたらどうだ?ちっとは涼しいぞ!」
「そうか、あそこなら劇場から歩いて5分もかからん。
ちょうど夕方まで出番がないから、誘ってみたろ!」
タケシとミノルは、涼しげな水玉模様のワンピースを身にまとったアケミを連れ出し、鶴舞公園の片隅にある薮の中に連れて行った。そこは小さな木立に囲まれた、地元の子どもたちしか知らない繁みだった。
繫みの奥には、ちょっとした崖があり、御器所台地の端にあたるその崖の下から、サラサラと水が湧き出していた。
「わあ、きれいな水! わっ!冷たい!」
「ここがワシらの、秘密の湧き水だわ。」
「近くにこんな所があったなんて、全然知らんかった。」
「ええとこだろう。オレらが見つけたんだわ!」
「うん、田舎の養老を思い出すよ・・・
あ!きれいなトンボ!」
「お、神様トンボだがや!こんな街中でまだ生き延びとった
んだな!」
「・・・神様トンボ? なんで神様トンボっていうの?」
「あの黒い羽根をふわりと回して閉じる様子が、手を合わせ
て神様に祈っとるみたいに見えるからだて。」
「ホントだ!」
アケミは、神様トンボに向かって手を合わせ、何かしきりに祈っている。そして最後に柏手(かしわで)を打った。
驚いて飛び上がった神様トンボは、そのまま水の流れを下って街の方へ出て行った。
「ごめん、逃げちゃった・・・。」
「アケミさんは何を祈っとったの?」
「うーんとね、日本一の踊り子になれますように。
それと、トランジスタラジオが買えますように!」
「お、もうすぐ売り出される、掌サイズのラジオか?」
「うん、プレスリーとか、チャックベリーとか、リトルリチ
ャードとかが聞きたいんだ。」
「ロックンロールだがね!さすがダンサーやな!神様トンボ
にお祈りしたで、どっちの夢もきっと叶うに!」
「うん!」
どちらも決して簡単な事じゃない。
でも、まだ少女の面影を残して屈託なく笑うアケミにつられ、タケシもミノルも、なんだか本当にそれが叶う気がして思わず笑顔になった。
まだ十代の、そんな若い三人の上を、サラサヤンマがスイスイと飛んで行った。
第7話につづく
作:birdfilm 増田達彦 (2024年改作)
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