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【幻想短編小説】土法師(つちほうし)

 N市にある古刹の住職、延寿法師がその話を檀家(だんか)から聞いたのは、今年の初盆供養の時でした。檀家といえど、呼ばれた家は昨年できたばかりの新興住宅。大都市の隣の雑木林を大規模造成して作られた、新しい住宅街の中の一軒です。
 
 檀家は壮年の夫婦二人。子供も成長して親元を離れたので、この春、隣町に造成された新築の家を買い、都心で一人暮らしをしていた老父を引き取ったのですが、梅雨を迎える前にその父が他界。以前住んでいた町で父親ともなじみのあったお寺の住職に供養をお願いいしたのです。

 道路は歩道までアスファルトで整備され、土地の有効利用なのか、隙間なくギッシリと建てられた家々は、最近の流行らしく、コンクリートで固められた車二台分の車庫スペースが玄関先にあるだけで、庭らしい庭もない味気ない家ばかり。
 
 近所に近所に公園もなく、街路樹もない、まさにアスファルトとコンクリートで固められた、近代的な住宅地です。
 街も家も新しいだけに、家は建っていても入居者はまだ少なく、昼間も夜も、テレビの音を消すと、がらんとした静けさに包まれます。

 そんな静かな新築の家で檀家のご主人が午睡をしていると、どこからか微かに音が聞こえます。

 
 それはじっと耳を澄まさないと聞こえないくらいの小さな音で、最初は耳鳴りのようなモノかと思ったそうですが、よーく聴いていると、何やら大勢のお坊さんがお経を唱えているようにも聞こえます。それも、どうも横になって寝ている床の方の耳から聞こえてくるようなのです。
 
 不思議に思ったご主人は、妻に話すと、横になった妻も、やはり同じように、床下から大勢の僧侶が合唱するお経のように聞こえるというのです。

 気になって念のために床下を覗いてみましたが、地面から湿気が上がらないよう、床下は6cmの防湿コンクリートでビッシリと覆われ、人の気配はおろか、全く何もない空間でした。
 
 テレビをつけたり、前の道を車が走ったりすると全く聞こえない程の音ですが、父を亡くしたばかりの事、お経のように聞こえるのが何とも気になって、初盆供養のおり、延寿法師に相談したのです。

 


 話を聞いた延寿法師は、「失礼します」と、おもむろに横になりじっと目をつむって床に耳を当てました。

 しばらくすると、延寿法師はその声をなぞるように、なにやらぼそぼそと唱え始めました。
 そしておもむろに起き上がると檀家の二人に言いました。

「これは土法師の唱える般若心経ですな。」

「土法師?土の中にお坊様がいらっしゃるのですか?」

「お坊様というより、仏様といった方が近いでしょう。」

「仏様?」

「なに、生きとし生けるものみな仏様ですから、
 怖がることはありません。
 以前ここは木々が生い茂る雑木林でした。
 夏になると、クマゼミ、アブラゼミ、ツクツクホウシ、
 ヒグラシと、様々なセミが賑やかに鳴いたものです。
 ご存知のように、セミは木の幹に卵を産み、
 幼虫になると土の中に潜って数年を過ごします。
 そして、いよいよ夏になると、地面に穴をあけ、
 地上に出て羽化し、セミとなって賑やかに鳴くのです。」

「はい。」

「ところが、このあたりは秋から冬の間に、
 一気に宅地造成し、 地面という地面を、
 アスファルトとコンクリートで覆ってしまいました。 
 これでは、夏がきてセミになろうにも、
 地上に出ることができません。

  懸命に穴を開けようとしたんでしょうが、
 せいぜい穴を広くするだけで上には出られません。

 そのうち自然の理で、広くなった穴の中で、
 羽化を始めてしまったんでしょうなあ。
 無事セミには成ったものの、穴からは出るに出られず、
 外に出たい、外に出たいと、
 セミたちが穴の中で懸命に鳴く声が、
 まるでお経のように我々人間の耳に聞こえるのでしょう。  彼らを閉じ込めているのは、我々人間ですからなあ。」

「あわれなものですねえ・・・」

「あわれなものですなあ・・・」

 土法師の般若心経は、その年から夏に毎年聞こえたそうですが、それも数年後には聞こえなくなったそうです。

作:増田達彦(水澄げんごろう)
初出「名古屋市水辺研究会会報」 2018年9月   

※この作品はフィクションであり、写真を含めてこの作品の著作権は、作者と、作者の所属する「中日本制作所」birdfilm(商標登録)にあります。


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