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ボクにとっての9.11 忘備録・思いやりのコールスロー

 2001年9月11日、アメリカで起こった同時多発テロ。特にニューヨークのワールドトレードセンターのツインビルに、2機の旅客機が激突して炎上、崩れ去ったテロ攻撃は、現地の方々はもちろん、テレビを通して視た人々にも、ものすごい衝撃を与えた映像でした。

 まずは、この同時多発テロで命を奪われた人々のご冥福を改めてお祈りするとともに、ケガをされた方、ご遺族の方々に、お見舞い申し上げます。


NHK国際ニュースナビの画像より借用

 
 ボクは、テレビで映像を観たあの時、事件の凄惨さと共にワールドトレードセンターにまつわる、二つの忘れられない出来事を思い出しました。
 うまく言葉にできるかどうかわかりませんが、その想いを綴りたいと思います。きわめて個人的なお話しですが、よろしければお付き合いください。



成田空港で出発を待つ研修メンバー(中央がボク)8ミリビデオより

 あのテロ事件の13年前、私が所属していた中部日本放送、(TBS系列のCBC)で、10名ほどの若手社員が、約1カ月アメリカの放送事情研修に行くことになり、初回メンバーに私も選ばれました。自分たちでどこを取材し研修するか、その選択から交渉まで任され、一番年長者でリーダーだった大石氏(前中部日本放送名誉会長)が、みんなの意見を聞き、交渉と予算管理とスケジュールを決定・実践してくれました。


テレビ局などの見学・研修

 
 まずニューヨークで10日間、NBCをはじめとした研修の後の日曜日、ニューヨーク在住の知人による斡旋で、郊外の住宅地に居を構えるニューヨーカーのホームパーティーに招かれることになりました。


ホームパーティー

 その家のオーナーの方はユダヤ系移民で年齢も近く、ワールドトレードセンタービル内にある証券取引会社の副社長だとか。「会社が見たい」と言ったら、ぜひ明日見においでよ、と気さくにOKをくれました。
 翌日は自由行動の日でもあったので、遠慮なくワールドトレードセンターへ行くことにしました。

ぜひ会社を見においでよ、と言ってくれた証券会社の副社長とボク


 ところが翌日、一緒に行くと言っていた他のメンバーが急遽ゴルフに行くことになり(えええ?!)、結局ボク一人だけで行くことになってしまいました。
 ボクはメンバーの中でも一番英語が苦手でほとんど話せないし、ニューヨークの地理もよくわからないから、一人で行くなんて絶対無理!と思ったのですが、約束を破ると「うそつき」になってしまいます。それはイヤです。そこで、意を決して、ホテルから一人で出かけることにしました。

 
 当時はスマホはおろか携帯電話すらなく、仕方ないので、地下鉄のパンフレットを片手に、何とか約束の10時に、ワールドトレードセンターにたどり着きました。
 そこからどうやって彼のオフィスまで入り込んだのか、記憶にありません。多分彼のネームカードを受付に見せ、パスをもらい、入ったのでしょう。
 彼のオフィスが北棟だったのか南棟だったのか、また何階だったのかすら覚えていませんが、とにかくネームカードの記載を見ながらエレベーターでずいぶん上へと行きました。

 ここでみなさんもうお気づきだと思いますが、情けないことに、ボクは、会社名はもちろん、会社見学を誘ってくれた彼の名前すら、すでに憶えていないのです。ごめんなさい。


 で、とにかく、ハッタリ英語で何とか彼のフロアにたどり着き、入ったらビックリ!1フロアが吹き抜けで、仕切りの無いたくさんのオープンブースが、それぞれ一つ一つの会社らしく、それぞれのブースのデスクには多くのモニターに数字やデータ、グラフが表示され、まるで近未来の世界です。

 彼の会社のブースへ行ったら握手で迎えられ、英語でいろいろ説明してくれるんですが、ボクにはチンプンカンプン。
 でも、片言の拾い聞きから、どうもそこは株式や金融商品を取り扱うたくさんの会社のブースがあり、それぞれ扇形に配置された机のすべてに当時最先端のコンピュータ(まだWindows95が出る7年前ですよ)画面がずらりと並んで、電話が鳴り響き、多くの人々が大声で株式や金融商品の商取引をしている(らしい)のです。
 まさに、世界中の富がこのビルで動かされているんだなあ、とマジでビックラこきました。


 正味1時間ほど、その喧騒と仕事ぶりを見せてくれて、
でも正直、何にもわかっていないボクを笑顔で見送ってくれた彼ら。ボクも笑顔でThank you so much!を繰り返しながら退散。とにかく圧倒されました。


経済大国 アメリカ


 で、お腹がすいたので、何か食べようとビルの地下まで降りると、なんと見慣れたマックがあるではありませんか!(そもそもマックの本場はアメリカでんがな・・・)。
 マックならメニューもわかるので、ビッグマックとポテトとコーヒーを頼み、空いているテーブル席で食べ始めようとしたら、一人のおばさまがトレーに料理を乗せて、ボクのテーブルにやってきました。

「ここ、座ってもいい?」
「ええ、もちろん。」
「ありがとう」

 てな会話になっていたはず(意訳です)。
で、ボクの対面にすわったおばさま、
歳の頃は45歳から50歳といった感じでしょうか。
穏やかな笑みをたたえ、ボクに話しかけてくるのです。

あなた、野菜が無いじゃない!
 このコールスローをあげるから食べなさい!
 若いんだから、野菜をちゃんと食べなきゃダメよ!

などといい、ご自分が買ったコールスローを、容器丸ごと惜しげもなくボクにくれたのです。そして、

「留学中?それとも観光?」
「あー、いえ、仕事で。」
「えー!?・・・学生かと思ったわ!」

 その日、ボクはセーターにジーンズ、その上にこげ茶のズタボロのコートを羽織っていたから、まるで貧乏学生のように若く見えたのでしょう。
 ボクはおばさまに、写真のついた会社の社員証を見せると、交互に見比べながら、目を丸くしています。
そして社員証の写真を指差し、

「彼は立派な大人だけど、あなたはもっと幼く見えるわ。」
「あー、でも、もう30歳なんです。」
「ホント?信じられない!」

 などとビックリしながら、何となく世間話になりました。
ボクは自分が日本のテレビ局のディレクターで、アメリカのテレビ局の事情を視察・研修に来たと話しました。
 おばさまはアイルランドからの移民で、ご主人がニューヨーク市の消防士であり、今日は一人で買い物にこの辺りへ来たとのこと。
 ご主人が消防士だと聞いて、危険な仕事だから心配ではないですかと聞くと、あなたと違ってBIGMANだから大丈夫よ、と笑っていたのが印象的でした。

 服装や話し方から、労働者階級の方だと察してはいましたが、品はありながらも下町のおばさんのような、気さくな方でした。
 ひょっとしたらマックを注文する時に並んでいるボクを見て、貧乏学生だと思い、最初からボクに食べさせるつもりでコールスローを買ってくれたのかもしれません。だって他にいくつか空いている席もあったのですから。
 残念ながら、お名前を聞いたはずなのにメモをなくしてしまい、もうわかりませんが、その思いやりとやさしさが、ボクは今も忘れられません。

 僕にとってのアメリカ研修のニューヨークは、どんなテレビ局の見学よりも、たった一人で出かけたワールドトレードセンターの、すごい金融取引現場を見せてくれた若い副社長とその仲間たちや、その地下のマックでコールスローをくれたおばさまのやさしさとふれあいが、かけがえのない一番の大切な思い出になりました。


マンハッタンのカモメ

 
 あれから2年後、ボクは一身上の事情で会社を退職、最下層のテレビマンとして、フリーで番組作りをし、その後、今のbirdfilmを立ち上げて7年。テレビで、あのワールドトレードセンターの崩れ去る姿を見て、愕然がくぜんとしました。

 13年後とはいえ、あのユダヤ人の若い副社長も、燃えて崩れ去るビルの中にいたのではないか?
 多くの消防士が殉職じゅんしょくしたというから、ひょっとしたらマックで出会ったおばさまのご主人が巻き込まれてはいないだろうか?
 崩れ去るニュース映像を観ながら、ボクはそればかりを考えていました。そして、大切な二人の名前も忘れてしまった自分の不甲斐なさを責めました。安否を知るすべが全くないのですから・・・。


花を手向けましょう


 ご存じのように、あの同時多発テロは、イスラム過激派テロ組織アルカイダによるもので、3000人近い人々が亡くなり、内343人がニューヨーク市の消防士だったそうです。(Wikipediaより)

 その後、アルカイダを撲滅するため、米国のアフガニスタン侵攻、さらにイラク侵攻へと繋がっていくわけですが、アメリカだけでなく世界中の、主に西側諸国や先進国の人々は、基本的にはアルカイダなどのテロリスト側が悪であり、アメリカは正義だという論調でした。

 確かに、テロは許される事でなく、まして何の罪もない飛行機の搭乗員や乗客、ワールドトレードセンターで働く人々を一方的に殺害する行為は、絶対に許されません。あの証券取引会社を快く案内してくれた若い副社長や、マックで出会ったおばさまの消防士のご主人が万一巻き込まれて亡くなっていたら、と思うと、怒りと悲しみに心が震えます。

 それは大前提として、しかし、ちょっと冷静に考えてみると、ボクたちは、感情的につい被害者側だけの見方で受け止めてしまいますが(まあ、当然ですが)、でも、なぜ、テロリストたちが、あんな事までしなくてはならなかったのか、
考えてみたことはあったでしょうか?


 直接的なテロリストたちの言い分はさて置き、あのワールドトレードセンターの中で繰り広げられていた、世界中の富の取引を見たボクには、この冨の集積の背景に、中東諸国やいわゆるグローバルサウスと呼ばれている途上国の深刻な貧困がどうしても見えてきてしまうのです。


 誤解を招くような言い方になるかもしれませんが、あの非道なテロリストたちが、「富の格差の象徴」であるワールドトレードセンターを標的にしたのは、極めて的確な戦術だったと言わざるを得ません(米国防総省ペンタゴンも標的でした)。
 米国に勝る冨と武器があるなら、あんなテロなどしないでしょう。そもそも富の格差がなければ、テロという発想すらないはず。宗教の違いなど、実は経済戦争を遂行するための「大義」とかいうマヤカシにすぎません。
昔から言うではありませんか。「金持ちケンカせず」と。


 産業革命以降、西洋帝国主義の国々が植民地化した地域からずっと富を搾取してきました。その結果、貧しい国はどんどん貧しく、富める国はどんどん豊かになりました。
 でも、ただの経済格差だけなら暴力沙汰(テロや戦争)まではいかないのでないかと思うのです。貧しい者が富める者から見下された時、つまり、人としての尊厳を蹂躙じゅうりんされた時に、人は「怒り」を覚えるのです。


 理想論かも知れないけれど、先入観を捨て、お互いをもっと知り、お互いを尊重し合えれば、決してテロや戦争などは起きないはず。お互いの違いを理解し、それを尊重すれば、いがみ合うことも無くなると、ボクは思うのです。


 2001年9.11の悲劇で思い出すのは、その13年前にワールドトレードセンターの地下でボクが体験した、消防士の奥さまからの「コールスロー」なのです。
 それは、決して富める者の「思い上がり」ではなく、見も知らぬ貧しそうな東洋人のボクという人間への想像力と、あたたかい「思いやりのコールスロー」なのでした。



 オチも無く、拙い長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

※ちなみに、おばさまから頂いたカップが本当に「コールスロー」だったかは定かではありません。「野菜サラダ」だったかもしれません。悪しからず。

ヘッダーの写真は山本アヤメさんのお写真を拝借しました。


文責:birdfilm   増田達彦







 
 

 

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