昭和少年らっぽやん 第二話 「カトリヤンマ」
日本の一部地域では、トンボを捕まえる名人を「らっぽやん」と呼ぶ。
* * *
昭和20年8月15日、戦争は終わったらしい。
らしいというのは、奥三河の親戚の家へ一人で疎開していたミノルにとって、その日ラジオから聞こえてきた天皇陛下の玉音放送が、何を言っているのかまったくわからなかったからだ。ただその時の大人たちの様子から、どうやら戦争に負けたらしい、と、何となく感じ取ったミノルだった。
疎開先の奥三河から名古屋の下町へ帰ったミノルを待っていたのは、一面の焼け野原だった。そもそも借家だったミノルの家も、跡形もなく焼け落ちていた。
帰ったその日、父の戦死公報が白木の箱と一緒に届いた。
ミノルの母は、波が押し寄せた渚の砂山のように、泣きながら崩れ落ちた。
でも、ミノルには、すべてに現実味がない。
戦争に負けた。
家が無くなった。
父が戦死した。
それが事実であるのか夢であるのかわからなかったが、とにかく母とともに生きていく事だけを考えることにした。
なすすべを失ったミノルは、母はとともに満員の列車と木炭バスを乗り継ぎ、ミノルが疎開していた奥三河の母方の親戚の家へ、しばらく身を寄せることになった。
そして、ミノルは9月から再び、疎開先の分校に通うことになった。
まだミンミンゼミが夏の名残のように響く分校では、疎開していた頃の友人たちが快く迎えてくれた。
でも、その中に、魚とりやトンボとりを教えてくれた一番の友達、タケシの姿がなかった。
その日の帰り、ミノルはタケシを探して、西日を追いかけるように、集落の西の入り口の方へ歩いた。
集落の果ての峠まで来たとき、切通しの上から、かすかに口笛の音が聞こえた。よく見ると切り株に座った少年が夕日に向かって口笛を吹いている。
これは確か「ラバウル小唄」とかいう軍歌では・・・。
ミノルは切通しの崖をよじ登った。
峠の切通しの上からは、三河から尾張へと続く山々が
ずっと見渡せた。
切通しを登ってきたミノルに気づいているのかいないのか、切り株に座っている少年は、西日が眩しい空を見つめながら口笛をやめなかった。ミノルはその音色に合わせて口笛を一緒に吹きながら、少年の後ろに立った。
少年は口笛をやめ、振り返らずにつぶやいた。
「ミノル、かえってきたんか?」
「うん。名古屋の家は空襲で焼けてまった。
父ちゃんも戦死して、母ちゃんと二人で越してきた。」
「ほっか。」
「ゼロ戦乗りのタケシの兄ちゃんは帰ってきたんか?」
「まだじゃ。でも絶対帰ってくる!」
「そうだね、タケシの兄ちゃんは撃墜王だもんね!」
右腕でゴシゴシ目を擦ったタケシは、初めてミノルの方を振り向き、笑顔で言った。
「ミノル、らっぽとるぞ!」
足許のタモを掴んだタケシがミノルを連れてきたのは、山道が少し開けた場所だった。
ミノルやタケシのちょうど目の高さぐらいのところを、
一匹の腰の細いヤンマが行ったり来たりしている。
「こいつはヤブ蚊を狙って低く飛ぶ、カトリヤンマじゃ。
動きは素早いけど、一瞬、飛びながら空中で止まる。
その時がチャンスだに。」
「すごい!こいつ、一瞬で向きを変えとる!」
「ミノル、腕が上がったかどうか見たるわ!」
タケシからタモを受け取ると、ミノルはヤンマの動きを目で追った。すると、空中停止するタイミングがだんだん分かってきた。
「ここだ!」
素早くタモを振った中に、見事にカトリヤンマが入った。
「らっぽやーん!」
タケシは嬉しそうに叫んだ。
ミノルのタモの中から、タケシは二本の指で羽を挟んで
大きなカトリヤンマを取り出し、夕日にかざした。
「このヤンマ、カッコいいなー!」
「ゼロ戦もこんな風に飛べたら日本は負けんかったのに!」
夕陽に羽根を透かしたカトリヤンマは、どんな飛行機よりも美しく輝いて見えた。
タケシの目に、いつの間にか涙がたまっていた。
「ミノル、逃がしてもええか?」
「うん!」
タケシは思い切り手を上に伸ばすと、夕日に向かって指を離した。カトリヤンマは、羽根をオレンジ色に輝かせながら、ヒュンと飛び去って行った。
その姿をじっと見つめる二人の少年の影が、山道に長く長く伸びていた。
第3話につづく
作:birdfilm 増田達彦 (2024年改作)
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