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【超短編】シモバシラ~霜華~
「シモバシラ、ありますか?」
真冬の荒地を一人歩くボクは、
突然、後ろから声をかけられた。
驚いて振り向いたボクの目の前に、
一人の美しい女性が立っている。
錆色のウールのコートに身を包み、
ベージュの毛糸の帽子と、
白いマフラーのあいだに覗く顔は、
柔らかい頬が十代の少女のようでもあり、
その目は四十を超えた色香も漂わせている。
もし、すぐ後を歩いてきたのなら、
足音や枯草を踏みしだく音が聞こえそうなものなのに、
全くボクにその気配はわからなかった。
かといって、真冬の早朝に出るような、
酔狂な幽霊でもあるまい。
年齢不詳の可憐な美女は、
枯れ草だけがまばらに生える、
こんな早朝の荒地には全くそぐわない、
花のような微笑を湛えている。
「シモバシラ、ありますか?」
ボクは足元を見て、土の地面が、
半ば浮き上がっているのを指さした。
「ああ、霜柱なら、足許にできてますね。」
ボクの踏んだ足許には、
土中の水分が凍って立ち上がった霜柱が、
朝日を浴びて光っている。
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「これじゃないんです。」
「え? でも、これ、霜柱ですよね。」
「ええ、でも私が探しているのは、シモバシラの花。」
「花?」
「真冬の早朝だけに咲く、幻の花です。」
そういうと、彼女はゆっくりと周りを見渡した。
そして、まだ山陰で日の当たらない場所へ、
足音も立てず、そっと歩み寄った。
「ありました。シモバシラの冬の花。」
彼女が指さしたのは、枯草の根元だった。
そこには、枯れた草の茎を縦に割くように、
染み出した水が氷の花を咲かせていた。
「あ、これが、シモバシラの花?」
「ええ、シモバシラというシソ科の草です。
本当の花は秋に咲くのですが、
冬に枯れた後、地中の水分を吸い上げ、
こうして自らの身を割いて、
氷の花を咲かせるのです。」
「こんな花があるなんて、知りませんでした。」
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ボクは、そのシモバシラの花の美しさに見とれた。
「なんとも、儚げで、美しいものですね。」
「ええ、日が当たる頃には、溶けて消えてしまいます。」
「他にも似たような枯草があるのに、
氷の花を咲かせるのは、この草だけなのですね。」
「だから、この草がシモバシラだとわかるのは、
真冬の早朝、氷の花が咲く、今だけなのです。」
ボクはその草に近づき、しゃがんでじっくりと眺めた。
茎を縦に割いて、その隙間から噴き出したように凍る水。
その薄い氷は、まさに地中の水が作った氷の花びらだ。
ボクは、まるで清楚な少女のような氷の花を、
惚れ惚れと見つめていた。
そうしている間に、朝日はどんどん昇り、
シモバシラの氷の花にも、光が当たり始めた。
すると、見る間にシモバシラの花は溶け出し、
どんどん小さくなっていく。
ボクの背後の頭上から、彼女の声がする。
「夜明け前の魔法で、私は若い娘の姿になる。
瑞々しくて、いろんな男の人が声をかけてくれる。
でも、陽が上ってしまったら、ただの枯れ草。
それが今の私の本当の姿。
あの花は、ただの幻。
それでもあなたは、私を抱いてくれますか?」
聞き覚えのあるその声に、
思わず振り向いて見上げたボクは、
そこに朝日を背にした初恋の女性、早百合の姿を見た。
早百合は、十代の頃の素顔から、あっという間に、
見知らぬ年配の女性に変わった。
ボクは立ち上がり、早百合の素顔を確かめようとしたが、
霜がとけるように、女性の姿は薄くなり、消えていった。
「男はいつだって、自分に都合のいい女の幻だけを見るの。
本当の女の姿を、心を、ちゃんと見ようとしない。
男が幻に恋をして、結局傷つくのは女の方なんだよ。」
広大な荒地の真ん中に、しわがれた女の声が響いた。
ボクはポケットからスマホを取り出し、電話をかけた。
「佳奈子、ごめん。ボクが悪かった。今から帰るよ。」
佳奈子は許してくれないかもしれないが、
それでも、誠心誠意、謝ろうと思った。
ボクは、荒地の中、今来た道を引き返すことにした。
シモバシラの花は、すでにすっかり消えていた。
〈了〉
激務の中、書きなぐった文をお読みいただき、
ありがとうございます。<m(__)m>
このお話は完全なるフィクションです。
が、シモバシラは現実に存在する植物で、
シソ科の多年草、日本固有種です。
仕事一瞬サボって書いていたら、こんな声が聞こました。
「あたしがこんな姿になっちまったら
アンタのシモバシラもすっかり萎えちまっただろう。」
ダメだよ、下ネタを挟んじゃ。え?
「どうせ書きなぐりじゃないか、大した違いはないよ。」
・・・だってさ。
怖いねえ。シモバシラの妖精さん。
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