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昭和少年らっぽやん 第一話「シオカラトンボ」
この物語は、太平洋戦争から戦後の日本(昭和20年~)を、自然や生きものたちに勇気づけられ、友情を育みながら笑顔で生き抜いていく、ミノルとタケシという二人の少年の成長物語です。毎回、トンボをテーマにした一話完結です。毎回時代が進んでいきますので、二人の成長を見守りつつ、気楽に楽しんでいただけたら幸いです。
日本の一部地域では、トンボを捕まえる名人を「らっぽやん」と呼ぶ。
* * *
空襲がひどくなるというので、ミノルが名古屋から奥三河の村にある親戚の農家へたった一人で疎開したのは、昭和20年の春のことだった。
元々田畑が少ない山間の土地なので、その親戚の家も決して裕福とはいえなかったが、国民学校4年の育ち盛りのミノルには、野菜やイモが中心とはいえ、名古屋より食べ物が豊富にあることがとにかく嬉しかった。
ただ、賑やかな夕餉の時になると、戦地に行ったままの父や名古屋に残した母のいない寂しさが、胸にこみ上げてきた。
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村の分校までは、峠を一つ越えて行かなくてはならなかった。親戚のおばさんが持たせてくれた雑穀握り飯の弁当を手に、沢水が脇を流れる山道をミノルが登っていくと、同じ年くらいの一人の少年が、空を見上げている。
ミノルが近づき一緒に見上げると、その少年は、
「らっぽが飛んどる!」
と独り言のようにつぶやいた。
「らっぽ?」
近視気味のミノルには、何が飛んでいるのかわからない。「空を見とりん、黒いトンボが飛んでくだらぁ!」
「トンボ?」
そう言われて見てみると、確かに一匹の黒いトンボのような虫が、山道の上空5メートルほどのところを猛スピードで飛んで行く。しかし、あまりに速すぎて、ミノルの目にはどんなトンボなのか全くわからない。
「あれ、何トンボ?」
振り返って少年に聞こうとしたが、すでにそこにはもう誰もいなかった。
分校は一クラス22人。1年生から6年生までみんな一緒だ。その中に山道で出会った少年もいた。ミノルと同じ4年生で、恥ずかしそうにタケシと名乗った。
名古屋の国民学校ほどではないが、山の分校も軍事教練だとか体操だとかの時間が多く、運動神経があまりよくないミノルにとっては苦痛そのものだ。何をやってもうまくいかず、軍隊からの配属将校に叱られてばかりいる。
逆にタケシは運動神経抜群で、どんな運動もまるで軽業師のようにこなしてしまう。
「さすが、らっぽやん!」
タケシはクラスのみんなから、尊敬のまなざしを集めていた。
昼休みになるといつもタケシは、いつの間にか教室からいなくなった。級長のシゲルに聞くと、母親が病気で弁当がないため、恥ずかしくて、午前中で帰ってしまうという。
ミノルは自分の握り飯を持って、タケシを探しに峠道の方へ戻ってみることにした。
峠を越えると、脇を流れる沢の方で何か動く気配がする。
ミノルが恐る恐る近づいてみると、タケシが水の中に入り、石の下に両手を突っ込んでいる。そして素早く魚を手掴みにした。
近くにミノルが来ていることに気づいていたのか、タケシはミノルに向けて両手でつかんだ魚を、目の前に捧げ持ちながら自慢げに笑った。両手に余るほどの大きなアマゴだ。
「すごいね!タケシくん!」
ミノルも持ってきた握り飯の包みを、タケシがしたように、捧げ持ちながら笑い返した。
魚の捕え方を教えてもらう代わりに、とミノルが差し出した握り飯を、二人は分け合って並んで食べた。
「うんめいなー!」
「うん、うんめいなー!」
ミノルも相槌を打ち、顔を見合わせて笑った。
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ミノルがタケシに教わったのは魚とりだけじゃなかった。
水がぬるみ始めた初夏、山里の水辺のあちこちで、大きなヤンマが飛び始める。
タケシは「ゼロ戦に乗ってる兄貴のもの」だという虫採り網を素早く振り回し、どんなに速いヤンマも必ず捕まえた。
見ていた子どもたちは、そのたびに
「らっぽやーん!」
と叫び、タケシは捕まえたトンボの羽を指に挟んで自慢げに目前に掲げた。
「らっぽやん」はトンボとり名人の、名誉の称号だ。
「ミノル、おまんもやってみりん!」
虫採り網を渡されたミノルは、飛んでいるギンヤンマに向かって懸命に網を振る。しかし、網はヤンマに軽々とかわされ、そのへっぴり腰の様子を指さして、みんなが笑った。
「最初からヤンマは難しいから、あの石の上に留まっとる青いらっぽを採りん」
タケシの指さす河原の石の上には、ヤンマより二回りほど小さいトンボが羽を広げて留まっている。
ミノルは腰をかがめて忍者のように石に忍び寄り、トンボの上に網を被せた。しかし、一瞬早く、そのトンボは飛び立ってしまった。
「大丈夫じゃ、こいつはまたこの石の上に留まる。待っとりん。」
タケシの言う通り、その青いトンボは、再び同じ石の上に留まった。すぐに近づこうとするミノルをタケシが止めた。
「まだじゃ。広げた羽根がまだ少し上を向いとる。いつでも飛び立てるよう緊張しとるんじゃ。そのうち安心したら、羽根をベタッと石の上に降ろす。その時に、素早く網を被せるんじゃ。」
ミノルはタケシの言葉を聞きながら、その青いトンボをじっと見つめた。身体の半分は美しい空色で、青い大きな目をクルクルと動かしている。そして、突然思い立ったように飛び立つと、また同じ石の上に戻ってきて留まる。
こうして夢中でトンボを見ていると、ミノルは、父が戦地にいることも、母と離れ離れであることも忘れていた。
青いトンボは、しばらく石に留まったり、また飛び立ったりを繰り返していたが、ついにタケシの言う通り、まるで力を抜いたように、羽根をだらりと石の上に降ろした。
「いまじゃ!」
押し殺したようなタケシの掛け声を合図に、ミノルは素早く網を被せた。飛び立ったはずの青いトンボが、カサカサという音をさせながら網の中で暴れている。ミノルは、そっと網からトンボを取り出し、タケシのように人差し指と中指で羽根を挟んだ。
「このトンボの目、なんてきれいな水色なんだろう!」
「シオカラトンボのオスじゃん。かっこええのう!」
ミノルはシオカラトンボを目の上にかざした。精悍な顔立ちのシオカラトンボが、勲章のように思えた。
「いよっ!らっぽやーん!」
タケシが嬉しそうに叫んだ。
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第2話につづく
作:birdfilm 増田達彦 (2024年改作)
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