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昭和少年らっぽやん 第八話 【精霊とんぼ】

この物語は、太平洋戦争から戦後の日本(昭和20年~)を、自然や生きものたちに勇気づけられ、友情を育みながら笑顔で生き抜いていく、ミノルとタケシという二人の少年から青年への成長物語です。毎回、トンボをテーマにした一話完結の短編です。毎回時代が進んでいきますので、二人の成長を見守りつつ、気楽に楽しんでいただけたら幸いです。

あらすじ

 日本の一部地域では、子どもたちの間でトンボとりの名人のことを「らっぽやん」と呼ぶ。


*   *   * 

 
 昭和32年、名古屋駅前に日本初の地下街「サンロード」が誕生した。以来、名古屋駅前は地上より地下街の方が発展、アリの巣のように様々な方向に延び、まるで迷路のようだと揶揄やゆされるようになったのは、ずっと後の話である。

 そんな地下街の喫茶店の扉を開けてミノルが入っていくと、すでに待っていたタケシが大きく手を上げて招いた。

「タケシ、今日は仕事はないのか?」

「今日から盆休みじゃ!」

「そうか、もうお盆か。時の経つのは早いなあ・・・。」

「二十歳そこそこの若者が、なに年寄り臭いことを言っとるんだ!それよりこの店のアイスコーヒー、のんでみやぁ!
・・・あ、金は心配いらんて。オレのおごりだで!」

 ミノルが注文すると、清楚な制服に身を包んだウエイトレスが、氷の入ったグラスと、デミタスコーヒーの入った小ぶりのカップをお盆の上に載せてやってきた。

「このホットコーヒーを氷の入ったグラスに注いでお飲みください。ミルクとお砂糖はお好みでどうぞ。」

「へ~、自分でアイスコーヒーにするんだ?」

「ハイ、アイスでも煎れ立てのコーヒーの香りをお楽しみいただけます。少し濃い目に煎れてありますので、氷が少し溶けると、ちょうどホットコーヒーと同じ濃さで、コーヒーの味と香りをお楽しみいただけますよ。」

 まだあどけなさを残すウエイトレスの笑顔は、えくぼが愛らしい。

「ほれ、ミノル、やってみい!」

 ミノルはカップのデミタスコーヒーを、グラス一杯まで入れられた氷の上に注ぎ入れた。コーヒーの香りが、ふわっとミノルの鼻をくすぐった。

「おー、いい香りだ!」

「では、どうぞ、ごゆっくり。」

 笑顔のまま、ウエイトレスは立ち去り、その後姿をタケシが目を細めて眺めている。

「うん、うまい!」

「そうだろう、そうだろう・・・」

 ミノルに相槌を打ちながらも、タケシの目はウエイトレスの姿を追っている。

「で、タケシ、あの子の名前は?」

「・・・久美子ちゃん・・。」

「ふーん、で、今日オレを呼んだ理由は?」

「・・・え?・・あ、、、ま、せっかくの盆休みだでね、
 新しい地下街の、美味おいしいアイスコーヒーを一緒に飲もうと思ってだな・・・。」

「この店の本店は大須じゃなかったっけか?」

「いや、せっかく日本初の地下街ができたんだからさあ。」

「久美子ちゃんがいる店じゃないと嫌だと。」

「そりゃあ、まあ、同じコーヒー飲むなら、久美子ちゃんがいる店の方が、ねえ・・・。」

「・・・まったく、タケシは・・・。」

「でも、アイスコーヒーは本当に美味うまいだらぁ?」

「うん、確かに美味い!」

「キャー!」

 その時、店の入り口付近で久美子の悲鳴が響いた。タケシとミノルは入り口付近に立ち尽くす久美子の元へ急いだ。

「久美ちゃん、どうした?」

「扉が開いたので、お客さんかと思ったら、誰も入ってこないで、いきなり何か大きな虫が飛び込んできたの!」

「虫?」

 視力のいいタケシの目は、それほど天井の高くない店の中で、一匹の虫が飛んでいるのをすぐに見つけ出した。

「らっぽだ!」

「え?トンボ?・・・トンボがどうして地下に?」

 素早く天井近くを飛んでいたトンボは、店の中央にある観葉植物の葉にそっと止まった。

精霊しょうりょうとんぼじゃ!」

 そのトンボは、色褪せた朱色の体で、羽根は所々穴があいたようにいたんでいた。

「確かにウスバキトンボだ。どっかの入り口から、地下街に迷い込んだのかな。」

 タケシはそっと近づくと、素手でウスバキトンボの羽根を優しくつかんだ。トンボは全く抵抗しないように見えた。
 その傷ついたウスバキトンボをじっと見つめながら、タケシが呟いた。

「兄貴じゃ。カズオ兄ちゃんが帰ってきたんじゃ・・・。」

「そうか、今日は8月13日、カズオ兄さんの命日か・・・」

「そうじゃ、兄ちゃんの乗ってた、ゼロ戦じゃ・・・。」

「やっぱり、『精霊とんぼ』なんだなあ・・・」

 
 

 南方系のウスバキトンボは、ツバメとともに、毎年春から初夏、東南アジアから沖縄を経て、日本本土へ渡ってくる。
産卵してからすぐヤゴになり、一か月で羽化する。
 そうして徐々に数を増やしながら日本列島を北上し、ちょうど旧盆の頃、日本中の街中に群れを成すように現れることから、先祖の霊を背負ってくるトンボ、「精霊しょうろうとんぼ」とも呼ばれている。

お盆の頃から群舞する精霊とんぼ(ウスバキトンボ)

 そんな二人の会話を聞いていた久美子の目から、涙が一筋零れ落ちた。久美子の父も、昭和20年の夏、南方で戦死したという。

「ひょっとしたら久美子ちゃんのお父さんも、カズオ兄ちゃんの精霊とんぼに乗って店まで会いに来たのかもしれんぞ。兄ちゃんは優しかったでな。」

 久美子はトンボを見つめながらうなずいた。
幸い、久美子は午後3時までの勤務だという。そこで、ミノルの提案で、久美子の仕事が引けたら、大須にある久美子のお墓参りに、一緒に行くことになった。



 夕方、3人は大須のお寺にある久美子のお墓にお参りした。
それは、戦争で父を失ったミノルにとっても、特攻隊で兄を失ったタケシにとっても、同じ祈りだったに違いない。
 
 タケシは羽根をやさしくつかんだまま、一緒に連れてきた精霊トンボに語りかけた。

「兄ちゃん、ミノルのお父ちゃんや、久美子ちゃんのお父ちゃんを一緒に連れて帰ってきてくれて、ありがとうな。」

 そう言うと、指の力を抜き、精霊とんぼをそっと放した。
精霊とんぼは、ぐいんと上昇すると、三人を見下ろす桜の枝に止まった。

「やっぱりカズオ兄ちゃんや。ゼロ戦のように急上昇して、ちゃんと『同期の桜』の枝に止まりよった!」

 笑いながらトンボを指さすタケシの目から、涙がこぼれていた。一緒に笑うミノルと久美子も、目に涙をためていた。
 
 
 辺りの木々から、つくつく法師の読経が響いていた。


精霊とんぼ(ウスバキトンボ)


第9話につづく 

作:birdfilm 増田達彦

 
タケシの兄、カズオの戦記を綴った第三話もどうぞ。




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