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今も昔も「分度」と「推譲」が大事!

ジブン株式会社を設立します!とnoteに投稿してからあっという間に1ヶ月が経ちました。
書いたものの、経営をどうしていくのかと考えると数字が苦手という理由から逃げたくなります。
しかしながら、先日木下斉さんのvoicyで二宮尊徳の報徳手法について触れていたので、再度、「報徳記(上)(下)」を読み返してみると、今も昔も人や町の衰退していく過程、陥る原因は似ていることに気づき、そして、まさに自分の現状にも当てはまることだったので、ここに書き留めたいと思います。

1.「分度」と「推譲」とは

「分度」
あらかじめ定めた収入の範囲内に支出を収めること。
尊徳は、過去に遡る調査で見定めた土地の生産力に基づき、農民と領主双方の取り分を設定し、その上で農民達には勤労を求めた。

「推譲」
努力すれば、分度を超える収入が生まれることになるが、この分度以上の収入は、子孫や他者に譲ることとされた。子孫への「推譲」は将来世代に残す貯金であり、他者への推譲は地域への寄付と言い換えられる。それが「推譲」である。

 推譲で集まった資金は、用水路の整備や洪水対策などの土木事業、農民の借金を一括返済するための無利子の貸付等に使われた。
困窮要因の除去と基盤整備で農民の意欲を引き出し、生産力を高めた。その結果生まれた分度以上の収入を推譲させ、地域の人と経済を建て直す。この自助と共助による復興の仕組みに尊徳の独創がある。

「分度」とは、あらかじめ定めた収益の範囲内で支出を抑えることが大前提である。まず身の丈を知るということ。その中で、いかに無駄な経費を削減し、勤労に励み、分度を超える収入を得るかが大事だと報徳仕法には書かれています。

報徳記の中にも、名主の経済不如意による負債が多く、下民から財をしぼり取り、困難貧苦に悩み住民が村から離れ、戸数は減り田畑は荒れ果てる状況に、二宮尊徳は、名主に速やかに全ての財産を差し出して、自ら自分たちも村の余った田を耕し、心力尽くして農業に勤しめば、必ず天からの恵みが得られると諭した。そして、租税をきちんと納め、名主自ら分度をわきまえて勤勉することで良民の道ができ、飢饉にも耐えられ、さらに分度から次年度に回し、再投資し、蓄財を増やしていく。

この話しを読みながら、自分の家業の経営はどうかと考えると、価格を値上げして、収入を増やすことばかりに重視していましたが、大事なことは、流出をいかに少なくし、流入を増やせるか。 さらに、地域内(ファンド)で回して、財を複利的に増やしていけるか。
その視点が全く欠けていたことに気づきました。

2022年に報徳塾での中でこの図式がとてもわかりやすかったのでシェアします。

2.倹約ではなく、余剰分を投資して運用いくことが大事!

また、木下さんもVoicyの中で話していますが、「分度」とは、倹約ではなく、バックキャスティングつまりは逆計算が大事で、だいたい1年間でいくらくらい収獲(収入)が見込めるかを計算し、その中で、すべてを使いきってしまうのではなく、約6割で生活し、残りの約4割を次年度に回していくもしくは再投資に回し、蓄財を増やしていく。「積小為大=小を積めば、則ち大と為る」になる。
まず、家業の経営を細かく分析し、「分度」と「推譲」のサイクルを回していけて、はじめて次の「社会的共通資本」へと繋げていけるのだと思います。

社会的共通資本についても、とても興味深い回だったので、放送会のリンクをシェアします。

しかしながら、まず、自分の家業を起動にのせてからではないと、社会的資本に手掛けることは難しいとも痛感しています。
地域の為にと、あれやこれやとイベントを企画したり運営してきましたが、単発的なイベントでも、企画するのも運営するのも、それなりにパワーと時間が必要となります。
もちろん、両輪で上手く回せればよいのですが、家業を上手く回せていないのに、社会貢献についてもやろうとするのは、まず負担がかかり、どちらとも中途半端になってしまいます。
家業を上手く回せるようになることが第一で、実績が積み重ねていけば、社会的にも認められ、さらに社会においても貢献できていくのだと思います。
「社会的共通資本」を視野に入れながらも、一番大事なことは「分度」と「推譲」だと思うのです。

確定申告が終わって、やれやれと思う気持ちを切り替えて、昨年度と一昨年度、今年も1〜3月の収支を振り返り、収入部分を細分化し、
売り上げの粗利益はどのくらいあるのか
どこに無駄があるか
どのように成長させていくのか
改めて見直していきたいと思います。


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