大阪南海なんば駅の歩行空間化の現場に行ってきました。
おはようございます。
今日から高野山へ向かいますが、昨日は大阪入りし、大阪南海なんば駅周辺が変わりつつある現場へお邪魔させていただきました!
難波駅前の歩行空間化の話しが持ち上がったのは
2008年。はじめは、地元の商店街からの要望があり、民意発意でプロジェクトがスタート。実に15年もの時間がかかって、今に至ります。
今回、プロジェクトを進めているハートビートプランの泉さんとスタッフさんのまち案内に同行させていただきました。
まちづくりの開発には民意と公がビジョンを共有し、協力して進めなければ、進みません。
また歩行空間化(ハード面が完成)すれば終わりではありません。
バス・タクシー乗り場の確保、駐車場の確保、荷入れ場の確保、円滑かつ安全な車道の確保など、いくつもの課題を同時に考えていかなくてはなりません。
駐車場1つとっても、お店にとっては駐車場が必要不可欠。そこを何度も協議し、同意を得て進めていく。
・搬入の取り決めや一般車の乗り入れ制限のための警備。
・歩行空間の環境を整えていくために、24時間の監視カメラと人での監視。
・ゴミ拾いに自転車の整備。
それぞれにかかる費用は、自分たちで負担しなければなりません。
また歩行空間化したスペースだけではなく、隣接するいくつかの企業や商店街とも密に連携を図っていくことが重要となります。
地元の協力企業と商店街で【なんば広場マネジメント法人設立準備委員会】を設立し、毎週金曜日に定例会を開き、進行状況や課題を話し合いを行なっているそうです。
民間が自らお金を出し、汗もかき、進めていくことで、「無理だ」と思っていたことが前進し、まちが変わっていくのだと言うことを、体現されている現場の生の声を聞かせていただいたことは貴重な経験でした。
上記の説明の通り、歩行空間化は地道な地道な地域環境保全を維持する活動が続く。
先ほど書いたように、道路の清掃・自転車対策・道路の適正利用・広場の24時間パトロール・業者の荷下ろ車と普通車を振り分ける門番など。
ハード面が完成すれば終わりではなく、歩行空間化するためには人海戦術が必要でそれにかかる費用を捻出しなければならない。それを何で利益を出して、どこが音頭をとって進めるか。
何年もかかるまちづくり事業、地権者・隣接企業・商店街をしっかり手綱を持って、一緒に汗をかいて進めていくのか。
何年もかかる事業を熱量を持って進めていくには、時間は待ってくれません。
まちづくりは、行政が動くのを待つのではなく、民間主導ではじめて、やりながら行政や警察を巻き込んでいくことからしか、いい街には変わっていかない。
地権者への交渉も、行政ではなく、民間が何度も足を運んで説明をし、協力を促すから許可してくれる。その1つ1つ骨が折れる地道な活動が実を結び、前進できる。
ハートビートプランの泉さんがおっしゃった言葉で「中途半端な開発では駄目。やるならとことんやる」。
現場を説明受けながら見させていただき、本当にその言葉の「重み」と「重要さ」を実感しました。
ハートビートプランの泉さんと木下斉さんと現場をまわった後、オンラインラボLDL(Locally Driven Labs)に所属するメンバーとオフ会。
普段は月に一度の定例ミーティングと、他は各々のプロジェクトを進めていくのはチャットでのやりとりが大半。こうして、リアルでお会いすると、なかなかオンラインでは話しができなかったことや、それぞれが取り組んでいることを相談できたり、為人が知れるので、とても有意義な時間でした。
久しぶりに飲んで酔っ払いながら、お店からホテルに向かう道中、なんば駅前が広い歩行空間になっていて、それぞれにアクセスもしやすくて、歩道を渡る数も少ないし、車を気にせず歩ける安心感。
また来たくなりました!
最後に。
先日、オンラインラボLDLの定例会議があり、木下斉さんから補足の学びを得たので、追加で記載しておきます。
【關一(せき はじめ)】
戦前(1920〜1930年代)に大阪市長として大阪の御堂筋線の拡幅工事や大阪の都市開発を進めた關一。1,900年前後にベルギーとドイツに留学し、鉄道について学び、社会政策学や都市計画学の知見を活かし、前任の池上市政時代より計画されていた、受益者負担金制度による御堂筋の拡幅の他、大阪都市協会設置、第二次市域拡張、市営公園や公営住宅の整備、大阪市営バス(現・大阪シティバス)事業の開始、大阪港の建設、地下鉄の建設、日本初の市立大学大阪商科大学(現・大阪市立大学)の開設、大阪市中央卸売市場の開設と様々の施策を投じ、今の大阪の礎を築いた人がいた。
戦前に、大阪市長のトップにして、地元の地権者や受益者に、これからのまちのあり方や人口動態を話をし、出資させ、受益者負担金による御堂筋線の拡幅工事を行った。關一の出身が伊豆だと知り、より深く学びたくなりました。