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いかにしてMountain High Tattoo Worksが始まったのか?ルーツを記す~第1話

僕の生まれ育った家はかなり変わっている。

かなり話が長くなるのだが、タトゥースタジオなどいう、アメリカナイズされた珍しい仕事をおこなうキッカケとも重なってくるので、今日はその話を少し綴ってみようと思う。

僕は1966年9月に東京都世田谷区で生まれた。家族構成は、アメリカ人のラッセルおじいちゃん(Russell)と、マーガレットおばあちゃん(Margaret)、そして父と母、そして僕、後に産まれた妹2人の日米混合7人家族だった。

父と母は日本人だが、おじいちゃんとおばあちゃんはアメリカ人。まず、この家族構成が少し変わっていた。

1960年台当時は東京でも外国人の姿が珍しかった時代だ。我が家は不思議がられ、地元の東京都世田谷区中町で目立ちまくっていた。手を繋いで町内を歩けば指を指され、幼稚園では異質な存在として銀行員の子らに虐められた。

なぜこんなヘンテコな家族構成となったのか?

まずはラッセルおじいちゃんの人生から説明してみようと思う。

おじいちゃんのRussell C.Jacksonはシアトルの貧農の長男として生まれた。

母親はかなり変わっていて、本当は女の子が欲しかったのに男の子が生まれたので、おじいちゃんは少女のワンピースを着せられ写真を撮られたりしていたそうだ。セピア色の写真をなんとなく覚えている。
おじいちゃんが子供の頃に母親から贈られたおもちゃの木製ドールも、いつも寝室に飾ってあった。おじいちゃんは女の子のように育てられた男の子だった。これは今であったら虐待として扱われているのではないだろうか?

おじいちゃんの学業成績は優秀であったが、家は貧しく大学にゆくお金が無かった。そこで奨学金欲しさに米軍に志願した。米軍に入隊すると学費は奨学金として全て国が賄ってくれるのである。

学費を返還する義務と引き換えに、一定期間、米軍で働かねばならない。
軍人というと戦争を美化して積極的に入隊するイメージが有るかもしれないが、おじいちゃんは軍の奨学金の他に大学にゆく手段がなく、あえて米軍に入ったのである。

入隊したのはアメリカ陸軍航空軍第8爆撃軍団(VIII Bomber Command/後のアメリカ第8空軍)バークスデール空軍基地で、配属先は気象分析部隊である。
当時は陸上からの機銃掃射を避けるため、雲に爆撃機の姿を隠して飛行させていた。そのためには気象を観測し、雲の発生を正確に予測する必要があった。

ワシントン大学の数学科を出たおじいちゃんは、確率や統計など、今でいうデータサイエンス分野に強く、数値計算が早かったため、気象分析のセクションに配属されたのである。

おじいちゃんの若い頃。肩章はアメリカ陸軍航空軍第8爆撃軍団

アメリカ陸軍航空軍第8爆撃軍団はイギリス空軍基地に駐留し、甚大な犠牲を出しつつも、ナチスドイツに大打撃を与えて凱旋帰国。25回の爆撃を成功させた「メンフィス・ベル」は映画化され、当時の戦争プロパガンダにも利用されることとなる。

メンフィス・ベルの乗務員たちはカントリーミュージックの聖地 テネシー州メンフィスの出身者だった。

現存するメンフィス・ベル号 ボーイングB-17フライングフォートレス

主に10代の若者で構成されていた、アメリカ陸軍航空軍第8爆撃軍団の爆撃機搭乗員の終戦までの戦死者は約4万3000名。当時の統計では58%の搭乗員が24回までの出撃で死亡。事態はロシアン・ルーレットのような様相を呈し、爆撃機搭乗員は虚無的運命論者になる傾向があったそうです。おじいちゃんは一生を戦争ショックのPTSDに悩まされ続け、僕が生まれる前にはアルコール中毒で入院となったこともあったらしい。実は本日、フト思い付きでYouTubeでアメリカ陸軍航空軍第8爆撃軍団を英語検索してみたところ、偶然にドキュメンタリー映像を発見してしまいました。戦争時の記録映画、「Target for Today Maximum Effort 8th Bombing Mission 1944」のワンカットにラッセルおじいちゃんが映っている事を確認したのです。


メガネ、鼻、耳、顎、髪の毛、それはラッセルおじいちゃんそのもの
左はボクシング日米対抗戦に勝利した父と、右はそれを讃えるラッセルおじいちゃん。血は繋がっていないが、20年以上を同じ家で過ごし、実の親子のような関係だった。そこに母が嫁に入り、Kenny.Sが産まれた。

おじいちゃんが戦争ショックによるPTSDを患っていたこともあり、家の中では戦争の話が絶対に禁句。僕は父からのみ半信半疑で当時の話を訊いていました。

おじいちゃんが元軍人であることを幼少時の僕が意識したのは、おじいちゃんがカラフルな勲章が沢山ついたアメリカ空軍の正装を纏い、年に数回の軍関係のパーティーに参加する時だけ。子供心にカッコ良く感じていましたが、具体的に戦争や軍についての話は一切聞いた事がありません。

父からのみ聞いていた話の点と点の軌跡が、このYouTube上の戦争記録動画に残っていたとは、まさに驚きとしか言いようが有りません。

以下、アメリカ陸軍航空軍第8爆撃軍団のドキュメンタリー動画です。僕にとっては生前のラッセルおじいちゃんの軍で働く姿を初めてみることになった衝撃的な動画です。

今のスタジオがあるのも、このおじいちゃんが戦争にゆき、その後に東京に住み父と出会い、家族となって同居する事がなければあり得なかったのですが、その話は次回以降に綴ってゆきたいと思います。






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