不安の絶頂と死の恐怖
わたしは“死にたい”とは思ったことはまずないです。
わたしの鬱期における症状のメインは、とにかく「不安」です。理由はありません。
酷い時期には布団の中で理由のない不安に責め苛まれ、もがき苦しんでいました。
ベンゾジアゼピン系抗不安薬は(当時は)全く効き目を感じられなかったです。
ものを食べているときだけいくらか不安は薄らぎました。
なんとかコンビニに買い物にいったりピザをたのんだりして食事は確保していましたが、それ以外のことはほとんど出来ず。
不安と戦いながら、「このまま死んじゃうんじゃなかろか」「死にたくない神よ救いたまえ」「死んでたまるかクソッタレ」とか、そんなことばかり考えていたように思います。
生への執着は相当強かったんじゃなかろうか。
...正直、あそこまでいけば入院の適応だったのじゃないかとも思いますが、そうならなかった理由は、
・希死念慮がなかったこと
・大学病院であったこと
ではなかったかと思っています。
ろくに医療保険にも入れていない状態でしたので、もし入院となっていればその出費は相当痛かったことであろう。
転機は、やはりセロクエルを処方された時ですね。
服んだ次の日に不安は激減し、救世主かと思いました。
名前も天使っぽいですしね(笑)
その後もそれなりに変動は続いていますが、不安は頓服である程度制御できるようになってきたし、倦怠感や眠気の時はそもそもボーっとして死のうという発想が出ませんし、フラット~軽躁状態では他の事を考えているので、まあ、楽観しています。
※この文章は、ASD & ADHD診断のだいぶ前、Blogに掲載したものです。
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