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東京23区内にある2つの自然公園とオリンピック~炎天下一人歩いて考えた

 7月26日、午前中の用を済ませて、午後から東京北区の王子から「東京さくらトラム」を乗り継いで、2つの自然公園に行きました。いつか行きたいと思っていた所なのでやっと実現した感じです。この日の最高気温は35℃。こんな暑い日でなくてもと思いしましたが、チャンスを逃すと、いつになるかわからないので、昆虫が多い今の時期に行くことにしました。

東京さくらトラムに乗って尾久の原公園へ

東京さくらトラム 以前は黄色だったけど

 「東京さくらトラム」より私には都電の言い方の方になじみがあります。都電は高校の頃通学で使っていました。実に懐かしいです。今は早稲田から三ノ輪橋に至る荒川線が唯一残っています。目的地の尾久の原公園は、王子駅から乗り、東尾久三丁目駅で下車します。下車して歩くと、日差しが強く暑くて10分くらいの道のりがとても長く感じました。
 尾久の原公園は1993年に開園。旭電化工業尾久工場の跡地を都が買収して公園化しました。面積約62,000㎡(6.2ha、東京ドームの1.35倍)。この公園の中心に池があり、多くのトンボが見られるとのことです。もう20年以上も前にNHKテレビで放映されてからずっと興味を持っていました。この公園では、トンボを通して地域の環境を考える小学校での総合学習の実践(ぼくらはトンボ探検隊・5年生)もありました(大森亨著『小学校環境教育実践試論 子どもを行動主体に育てるために』創風社2004)。 

尾久の原公園 原っぱが広がる 木陰に入るとホッとする

芝生でない原っぱは、都会では貴重

 公園に入ると、まず目の前に原っぱが広がります。都会で、芝生ではない広い原っぱは貴重です。バッタなどのすみかになります。この日は上空に数匹のウスバキトンボが悠々と飛んでいました。木陰に入ると多少涼しくホッとします。向こうに見える高層マンションが、やっぱりここは東京かなと思ってしまいます。広場では小学生が4,5人で草野球をやっていました。
 原っぱから少し奥に歩くと池が見えます。池は全面植物に覆われているようで、これではトンボが水域を見つけられず飛来できないかもしれません。ヤゴなどの水生昆虫の生息のために、池の水が枯れないように工夫されているようです。

尾久の原公園 池は植物でおおわれていた
水生昆虫の生息のために水が枯れないように工夫されている


次は荒川2丁目で下車して、荒川自然公園へ

 元来た道を戻り、東尾久三丁目駅から東京さくらトラムに乗って荒川2丁目で下車し、荒川自然公園に向かいます。ここも池があるので、どんなトンボがいるのか興味があります。
 荒川自然公園は、都の下水道局三河島水再生センターの施設の上に新たにつくられた公園です。つまり公園の下は人工地盤になります。開園は1974年、面積は約57,000㎡(5.7ha,東京ドームの1.2倍)と尾久の原公園より少し小さいくらいです。
 荒川2丁目駅を降りると、目の前に下水道局の施設があり、緩やかな坂を上ります。暑かったので、この坂が辛く感じました。

坂を上ると右側が荒川自然公園

 尾久の原公園に比べると、こちらは整備された公園という感じです。公園にはテニスコートや野球場などスポーツ施設も含まれて、自然公園の面積よりスポーツ施設の方が広いようです。坂を登って公園に入るとすぐに野草園があり、クヌギやハンノキなどが植えられていました。里山を意識しているようです。オミナエシの黄色い花が咲いていました。オミナエシは秋の七草のひとつですね。

野草園のクヌギ

 公園の中央部に池があり、2羽のコブハクチョウがいました。暑い中でも優雅?に泳いでいました。この池は「白鳥の池」というそうです。池は完全に水面が見えて、何匹もトンボが確認できました。シオカラトンボ、ショウジョウトンボ、コシアキトンボといった止水域に比較的よく見かけるトンボ類です。池はよく管理されていて、水再生センターからの水なのか、きれいに感じました。暑いので散歩に来ているお年寄りが一人二人で、ほかの人がほとんどいません。

「白鳥の池」には2羽のコブハクチョウがいました
真っ赤なショウジョウトンボ 「白鳥の池」で

オリンピックの前は東京23区内にも自然が残っていた

 本を整理する目的もあって、小林準治著『手塚治虫 昆虫図鑑』講談社コミックス(1992)を読み直していたところ、東京オリンピックの前は、国蝶オオムラサキが23区内でも見られていたという記述がありました。著者の小林氏は1948年東京生まれで、手塚プロの作画監督をやっていた方です。この本は手塚の没後、作品の中に登場する昆虫をまとめたものです。ペンネームの一字に虫を持ってくるほど手塚の虫好きは有名です。著者も虫が相当好きだったので、互いに少年のように興奮して昆虫のいろんな話をしたそうです。

『手塚治虫 昆虫図鑑』の表紙

 本に出てくるオリンピックは、前回の東京オリンピックではなく、その前1964年の方です。オリンピックを機に羽田空港までのモノレールや首都高、東海道新幹線ができ、都内も整備されてきれいになりました。一方、開発に伴って里山的な自然、草原や、池、雑木林などは失われていったようです。この本では、赤とんぼの群れも23区内で見られたとも書いてありました。
 荒川自然公園には、この3月まで国蝶オオムラサキ観察園がありました。「NPOオオムラサキを荒川の大空に飛ばす会」という団体が、毎年卵から成虫までを観察する会を荒川区民に開いていたそうです。残念ながらメンバーの高齢化で継続が困難になり、今年の3月で解散。観察園も閉園になりました。活動は21年も続いていたそうです。(昆虫園の掲示板より)

閉園した国蝶オオムラサキ観察園

子供たちに昆虫と接する機会を

 『手塚治虫 昆虫図鑑』の著者の小林準治氏は1948年生まれなので、1964年の東京オリンピックのときは15、16歳、「NPOオオムラサキを荒川の大空に飛ばす会」のメンバーの年齢はわかりませんが、仮に80歳代とすると、1964年のオリンピックの時は20歳代です。ともにオリンピック以前の風景を知っている世代です。子どもの頃、昆虫採集をするなど昆虫と接する機会があったのでしょう。尾久の原公園でも、公園ができる過程で、住民の運動があり、「トンボの楽園としてできるだけ自然を残してほしい」(前掲大森著p68)という要望を出していたそうです。
 今回訪れた2つの自然公園は、タイプが違えど、かつての昆虫採集など、子どもたちに自然と接する機会を作ろうとしていると感じました。
 以前に引用した『サイレント・アース』5章「移り変わる基準」の最後に「私たちが現状から目を背ければ、将来の世代は鳥のさえずりやチョウ、ブーンと飛ぶミツバチが人生にもたらしてくれる喜びや不思議を知ることもなく、荒涼とした不毛な世界に生きることだろう」とあります。
 今の子どもたちに昆虫(もちろん他の生物も含めて)と接する機会を作りたいですね。私が学校のオトープの復活を願うのも同じ思いです。

『サイレント・アース』については次に記事で一部紹介しています。

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