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昨日の話

昨日の話


映画館の帰りに、ずっと気になっていた喫茶店に寄ることにした。店名はからす。

雑居ビルの2階にあるその喫茶店の、小さな看板が可愛くて暗い階段を登る。
思ったより明るい店内と扉の前に小さなフライヤーがたくさん並んでいるのを見て、なんかお洒落な店っぽいなと気後れする。

お客さん他にいたら緊張するな、と思いながら扉を開けるとブラウンのTシャツを着た店主さんらしき人がいらっしゃい、と声をかけてくれた。
とても緊張しているので軽く会釈をして、店内にサッと目を走らせる。

白い壁、木のカウンター。明るい店内にはそこかしこに鉢植えなどでグリーンが飾られている。かわいい。
本棚があったので、そこに1番近い席に座る。椅子もカウンターと同じ木で出来ているようで、ツルッとしていて座りやすい。

紙のメニューと、お水、お手拭きをいただく。
A3のメニューを隅々見る前に、看板にあったかき氷の文字を見つけてしまい即決。
「すみません、桃のかき氷とほうじ茶ください」

本棚を見ていると店主さんがカウンターの中からすみません、とこちらに出てきた。
「雨が降ってきたみたいですね、カーテン開けます。」
最近は夕立が多い。向かい側のビルからも、空を見上げる人が何人か見える。

「最近雨すごいですよね」
「もう、東南アジアみたいです」
「確かに、スコールみたい。」

「雨が止むまで、ゆっくりしていってください」
そう言って店主さんがかき氷を削る音を聞く。
私は本棚から本を1冊選ぶ。
「末端試験弁の向こう側」

後ろの方に1つ栞が挟まっていて、前の人のかなと思いながら1ページ目から読む。
喫茶店のスケッチと、少しの感想などが書かれている。

途中でかき氷とほうじ茶が届いたので本を傍に退ける。
黒いお豆の形のお盆に、長い銀のスプーンともに白い器に乗ったかき氷。手作りのシロップが甘い。

かき氷は今年初めてだな、と思いながら食べていると外が光る。
数秒後に、ゴロゴロゴロと音が聞こえた。

「ああ、雷ですね」
「雨もしばらくはやまないかもですね」

窓の下に見える通行人たちも、傘を差す人が増えている。走っていく人のシャツが濡れて肌が透けているのが分かる。

「雷が光って30秒以内に音が鳴っている間は、外に出てはいけないそうですよ」
「そうなんですか?」
「昨日ラジオで聞きました。だからお客さんも今は外出禁止です。こんなこと言う喫茶店気持ち悪いですね」
「いえいえ、じゃあしばらく居させてもらいます」
「ええ、ごゆっくり」

かき氷の空いた皿を片付けた後、少し濃くなっていますからお湯を足しておきますね、とポットにお湯を足してもらった。
本の続きを読む。

栞のページに差しかかる。
スープとクラッカーの絵。クラッカーが上手に食べられなくて店主に心配されたと書いてある。店名はからす。

「この本のこのからすってお店、ここですか?」
思わず聞くとそうですよと返された。
えー、すごい。じっくりそのページを読む。太めに入ったメニュー表に、絵と同じものがある。
「そのスープはいつでもあるからまたどうぞ」
マッシュルームのポタージュとクラッカー。
「また来ます」

「たまたま入った喫茶店で、急に雨が降り出して、ポットにお湯を出されて、たまたま手に取った本にその店が載っているなんて、まるで小説みたいですね」
僕が解説するから台無しですけど、と言われて思わず
「エモい!!」
と大声で同意してしまう。
「大声のエモいもダメですね」
「現実はそんなものです」
窓の外の雨は止まないけれど、不思議とそれが嬉しいと思った。

雷が止まないまま、しばらくするとまた声をかけられる。
「傘立てが分かりにくいから盗られてもいい分の傘を買いに行くんですけど、お客さんのも買ってきましょうか?」
「え、いいんですか?」
私が傘を持っていないことを見抜かれていたらしい。
「ええ、こういう時じゃないと行かないから。」
「じゃあ、お願いしてもいいですか。」
店主さんは折りたたみがあるらしい。気を使ってくれたのだろうか。傘立ては床に三角の珪藻土が置いてあるだけで、確かに分かりにくかった。
「100均とコンビニ、どちらがいいです?物持ち的にも」
「うーん、私すぐ失くしちゃうので100均で」
「案外、こういう傘の方が無くさないものですよ」
こんなエピソードがある傘なら失くさないかもしれない。
「じゃあ、行ってきます。お店お願いしますね、お客さんが来たら適当に言っといてください。」
「え、はいありがとうございます。」

まじか。初めて入った喫茶店で、まさか店番をする事になるとは。ドキドキしながら帰りを待つ。
ついでに本棚を物色する。分厚い本は続きが気になるからと詩集を手に取る。
「between the stars」

きれいな絵に詩が添えられている。
詩はいつも寂しい気持ちになる。

半分くらいのページに差しかかったころ、店主が帰ってくる。
「おかえりなさい」
お客さんが来なくてよかった。

私の席まで来た店主さんが、2本ある傘のどちらがいいか聞いてきた。紺と黒の小さい傘と、普通のビニール傘。
「今日の服装に合うと思って。しかもほら、配色がイカしてます。」
私は紺と黒の小さい傘を選んだ。
「ほら、プラダの傘みたいでしょう。」
店主さんも嬉しそうに傘立てに立ててくれた。

雨はまだやまない。
詩集も読み終わって、本棚をまた物色する。
きっとまた来るから、少し厚い本でもいいかもしれない。ちょっと重たい本を選んだ。
初めのページに、作者のサインと「からすのさくさく生キャラメル美味しい」みたいなコメントが書いてあった。

短編集みたいな形式だったので、目次から気になるところを1つ選んで読む。
読み終わると雨はだいぶ収まっていた。

「おかえりですか?」
「はい」
「雨止むまでいらっしゃってもいいんですよ」
「せっかくなので、傘を使いたくて」

扉の外まで送ってもらって、挨拶をする。
ありがとうございました。

ビルから出て、傘をさす。
思ったより小さくて笑ってしまった。

小説のような、昨日の話。


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