メディアの存在意義
存在意義は?
メディアの存在意義は何か。
以前メディア関係者に質問したことがある。
まず、なぜこの質問をしたのか、説明をしたい。
学校ではメディアリテラシーなんてものを学ぶ。
情報のソースを確かめなさい、と。
私はこの時、違和感を感じた。
というのも、メディアが調べて書いた記事を見て、正しいか分からないから、自分でも調べなさい、と。
非効率的ではないだろうか。
正確に調べ、正しいことを書く。
これがメディアの普通ではないのか?
実際はそうではないことは周知の事実。
だからこそ、メディアの存在意義は何か、という疑問が生じた。
その時のメディア関係者の答えは、
「国民に情報を速やかに伝え、現状を知ってもらうために存在する」と
確かに速報は大切であるとともに、自分が普段触れない分野の情報を得るツールであることは間違いない。
ただやはり、メディアには正しくフラットで最新の情報を伝えてほしいと、切に願ってしまう。
負の側面
当然のことだが、メディアリテラシーというものが存在する理由は、メディアの流す情報が正確ではないことがあるからである。
流れてくる情報の一部には、意図的・非意図的問わず、誤情報や切り取り、偏りが存在する。
非意図的な場合には、
情報を出す者及びそれを承諾する者に、もう少し意識を高めてもらう他ない。
私自身の専門分野の記事であれば、情報の誤りや偏りに気がつくこともあるが、
それは私に事前知識があるからであって、
一般の人からすれば、ただ記事を読むだけでは、その情報が正しいと考えてしまいかねない。
他方、意図的に情報の切り取りや偏り、誤った内容を載せることも残念ながらあるのではないだろうか。
その狙いは、例えば
・どこかしらからの圧力による情報操作
・売り上げのために面白さを求める
・情報を流す人の思想の拡散
などが考えられる。
私の感覚では、国民はメディアによる情報に明らかに流されている。
なぜなら、人は基本的に怠惰であり、手間をかけてその情報の裏どりをすることは無いからだ。
あるべき姿
国民一人一人が、得た情報の正確性に疑問を持ち、自分で確かめる。
これは大変重要なことだ。
しかし、やはりメディアには、正確かつ公平性の担保された情報を出すことに最大限努力していただきたい。
その情報の根拠は、果たして本当に根拠として適当なのか、
誤解を生む表現となっていないか、
誰かに忖度していないか、
自分の思想を優先させていないか、
それらの点を常に意識しながら、
国民の、明日を生きる活力となるような情報を提供していただきたい。