問題を”自分事化”し、行動に移す難しさ

最近”自分事化”って言葉聞きません?

SDGsは近年のトレンドだ。
就職活動の中で行われるインターンシップ,
多くの企業が自社の事業とSDGsを重ね合わせ,アピールする。

ただ,SDGsは国や企業だけの目標ではない。
個人一人一人の生活,取り組みも重要であるのは間違いない。

では,誰しも意識を高くもって実行しているかといえば,そうではない。
むしろ意識的に実行をしていない人のほうが多数派であると考えている。

その多数派が意識をもって取り組みを行うには”自分事化”が必要である,こういった話を聞いたことがある人もいるだろう。
だが”自分事化”というたった四文字の言葉は,思った以上に難しいのではないだろうか。

“自分事化”の難しさ

SDGsと言っても幅広い。
例えば環境問題、地球温暖化についてみてみよう。

「脱炭素」「カーボンニュートラル」など、最近良く耳にする言葉。
CO2の排出を減らし、地球温暖化に歯止めをかけようというもの。

みなさんは何をしていますか?
車をEVに変えた?ソーラーパネルを設置した?

それは地球温暖化という問題を自分事化できたからだろうか。それとも自己満足でしかないのか。

どちらの意識であっても結果は同じように思えるが、行動の持続性という面で、長い目で見ると大きく結果は変わる。

問題を”自分事化”している人と、自己満足の人では、行動に対する思い入れが異なる。

その行動に対して、障害が生じたとき、それを乗り越えてもなお行動を続行するのか、諦めるのか、
意識の違いで結果は変わってくるだろう。

では、人が問題を”自分事化”するには、何が必要なのか。

それは”実感”である。

地球温暖化という大きな問題について、二つ例を挙げて、比較してみよう。

①地球温暖化が進めば、ホッキョクグマは生息地を追われ、絶滅してしまうかもしれない。

②地球温暖化が進めば、異常気象の頻度が増加し、裏山が崩れ、自分が土砂災害に巻き込まれてしまうかもしれない。

この二つの可能性があるとして、地球温暖化を「自分事」として感じるのはどちらの考え方だろうか。

ほぼ全ての人が②と答えるでしょう。

ホッキョクグマが絶滅すれば、北極の生態系が崩れ、アザラシが増え、逆に魚が減少し、日本の生態系にも影響が及び、その結果、私たちの食卓から魚が消える、
といったように、とても想像力豊かな人であれば、①においても地球温暖化を「自分事」として捉えられるかもしれないが、そんな人、そう多くはないだろう。

地球温暖化という問題を”自分事化”するには、想像できる範疇で、自分に対して発生する不利益が必要だ。

もちろん、「ホッキョクグマを守るためにCO2を削減してください!」という主張が間違っているとは思わないが、
その発信により心を動かされた人の行動の持続性は、どうしても問題を”自分事化”した人には劣ると予想できる。

問題を”自分事化”するには”実感”が重要な鍵となる。

行動に移す難しさ

“自分事化”するためには実感が必要である、と述べてきたが、では”自分事化”すればそれで良いのか、といえばそうではない。
行動というフェーズに移行しなければ意味がない。

行動に移す、ということがいかに難しいかを考えるうえで,分かりやすい“選挙”を例にする。

前回の衆・参議院選挙,私は選挙に行った。事前に政策も調べ,結果を楽しみにしながら投票を行った。
自分の中で選挙に対するモチベーションが高かったからこそ投票率があまり高くないことに驚いた。
計算上,約半分の人が投票に行っておらず,20代に限れば,三人に二人は投票に行っていないことになる。

投票に行かなかった理由は何なのだろうか。
自分の求める政策を打ち出している候補者がいなかった、という意見を聞いたことがある。
個人的には、戦略的白票を投じるほうが、選ばないという選択肢を取るのであれば有効であるとは思うが、今は置いておこう...

他の理由として、「興味がない」「めんどくさい」「自分の一票で変わるとは思えない」など聞いたことがある。

実際はその一票が積み重なって当選者が決まり、与党が決まる。結果、日本の進む方向性が決まる。
自分が暮らす環境の未来を決める大きなイベントだといえる。

しかしそれを実感している人はどれだけいるだろうか。

自分が一票を投じることで自分の生活が良くなる、
または、自分の一票を投じないことで自分の生活が苦しくなる、
そんなことを感じることができるだろうか。
少なくとも私はできない。

一票差で勝敗が決したのであれば、自分の一票の重要性を感じられるだろう。
自分がA候補に入れれば、その人が当選し、B候補に入れればBが当選するからだ。

この感覚が積み重なることこそに選挙の意味がある。

ただ、自分の入れた候補者が三千票差で負けた、というとき、自分の一票は入れても入れなくても結果は変わらなかったのだから、価値のないもののように感じる。(実際は違う。)

地球温暖化も同じである。

世界の気温の上昇を2℃以下に抑えることで、気候変動による影響を小さくできる、と言われているが、

もし、あなたの家にソーラーパネルを設置したとして、異常気象が抑制されるだろうか、自然災害が減るだろうか、
実際のところ、あなた一人だけの行動では、ほぼ何も変わらないだろう。
人々の行動が積み重なって初めて変革が起こる。

自分の行動と、結果の繋がりが感じ取れないのである。
自分一人が行動を変えたところで、意味がないと感じる。
つまり、自分が行動することで何かが変わった、という実感を得なければ、行動に移すという意志、行動の持続性はなかなか生まれない。

自分の行動が社会問題に対して効果があると実感して初めて、社会問題への取り組みの必要性を真に感じることができる。

中学生の実践する自分事化と行動

岐阜県白川村の中学生と交流することがあった。
その学校のすごいところは、最上級生が議員に対して、政策の提言を行う事である。

村を良くするために、中学生が考え、提言するのである。
村のことを理解し、現状の課題を把握する。
問題の本質を見抜き、何が必要であるかを話し合い、現実的な政策を考える。

こんなことを中学生の頃にできていた人はなかなかいないだろう。
だがこれが彼らの当たり前である。

なぜこんなことができるのか。
それはまさに、自分達の村の問題を「自分事化」し、自分の行動により変化が起きることを想像できるからだと私は考えている。

白川村は少子高齢化問題に直面している。

近くの学校は廃校になり、同学年は20人もいない。
村内に高校はなく、若者の流出を助長する。
関わる人の多くは年配。

将来、自分の故郷がなくなってしまう可能性すらあるという問題を身近に感じてきた。

自分達に降りかかる問題を想像し、
自分に何ができるのか、
取り組むことによってどんな明るい未来が来るのか、
考えることができている。

そして、それを実行した時に、例えば数字として結果に表れることによって、例えば政策に反映されることによって、自分達の行動が意味あるものだと認識している。

だから、主体的に、問題提起し、行動を起こすことができる。

総論 “自分事化”と行動

前章で挙げた事例は、白川村を題材としているため、規模が小さく、行動による結果が見えやすい。
一方で、国や世界のこととなると規模が大きく、一人一人の行動変容が何かしらの影響を与えていると想像することは困難である。

“自分事化”を生み出すためには、情報を的確に得る環境づくりと、問題の実情を体感できる機会の提供が必要である。

行動に移す、という困難なフェーズでは、目標の数値を設定し、そしてその目標に対する現在地を明確に示す必要がある。

さらに、その目標や現在地を示す数値や指標を、例えば市町村ごとに、もっと言えば、細かな地区ごとに、算出し、住民の目が触れるところに公表する必要がある。
算出範囲の地域が小さければ小さいほどいい。

そうすることで、1人が何かの課題に対する対策を行い、”1”という数値的な結果を得た時、それが反映されていると実感することができる。
つまり、自分の努力による結果を確認することができるのである。

それによって初めて自身の行動が、社会に小さくとも影響を与えていると実感できるのである。

世界において、いくつもの問題が刻一刻と悪化している。各国政府や国際機関だけでは、もはやこの流れは止められない。
世界の人々一人一人が行動を変容させる必要がある。

まずは我が国の皆さんと行動を変えていきたい。
一人一人の行動を変えれば、それは1億人以上のパワーとなる。

さぁ、行動変容を促す施策を実装していきましょう。

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