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2024.5.9に「寛解」した 家族の癌ステージⅢを振り返る記録

この記録は多くのケースの1例にすぎません。行動が正しいのか誤りなのかは判断できませんが 事実を記載するように心がけて書いています。

はじまり

およそ6年前妻が婦人科の診察で異常を告げられ、癌の可能性が有る事がわかった。
理解できた事は「子宮内膜がん」で治療をする必要が有る事、妻が体調不良を自覚している事。
この時は漠然と「癌」と言われて‟無知”から来る不安や恐怖から逃れられず、何から手をつけて良いのか解らない状態が発生しました。
この時妻は計り知れない不安や恐怖を持っていたと思います。‟患者本人”は何も考えられず、行動も出来ない「フリーズした状況」だったと思います。〇これ以降「患者は病気を治す事(考えや行動)は難しい」という前提で事を考えるようにしました。

最初の最初の第一歩

「子宮内膜がん」を知る事から始めました。お医者さん(以下医師)は広い範囲の知識が必要ですが、医学に素人な患者&家族は自分に関係が有る狭い情報を理解すれば良いので、比較的短時間で専門的な状況まで理解できます(自分の車や自転車だけ構造がわかりプロのように修理出来るのと似ている)(ネット情報の利便性も後押ししている)。
<理解した事>
①治療には医療保険が使える範囲に決まりがある(保険を使えない医療もある 但し負担費用は多く、効果も様々で判断をする必要がある)
②標準治療にはガイドラインがある
③病院毎に研究や治験もあり、標準治療をベースとして特徴(違い)もある
〇患者と家族が出来る事 その第一歩:病気を客観的に理解して、病院を選択する(入試で入る学校を決めるのと似ていました)

日本婦人科腫瘍学会編.子宮体がん治療ガイドラインより

役割を整理する

調べる程に多くの問題と情報が有る事に気が付き、切り分けが必要で目的の共有が必要だと感じました。
目的:健康な生活に戻る
この目的は医師の仕事とは少しずれています、医師は「子宮内膜がん」を治癒することを仕事としています。「子宮内膜がん」を治癒することは「健康な生活に戻る」一部です。(優先順位が異なる場合が発生する)
専門的な病院は多くの患者を抱えています、お世話になった病院の子宮内膜がんの年間治療数は250人/年を越えていました。
医療現場の立場を視点にすると、豊富な治療実績は治療の効率化がポイントになるように見えます、実際院内は患者で溢れていて治療開始まで日数が必要な状況も見受けられます。
〇医師の仕事は「子宮内膜がん」を治癒する事であり、家族が行う仕事とは切り分けて考える。


心のケア

痛みなどの症状や治療は医師に任せるとして、家族の役割に「患者と家族の心のケア」があり不安を減らす必要があります。不安を生む要素に知識不足があり、様々な情報(写真や過去事例など)を正しく得られれば、「良くなる~悪くなる」範囲が見えてきて向かう目標が見えます。専門的過ぎてわからない事でも噛み砕いて調べて行けば徐々に理解出来ていきます。(ケアで同じ事を何度でも‟丁寧”に説明する粘り強さは無駄ではなく必要だと思います)
〇客観的な正しい知識は不安を減らす効果につながる。

後悔と習慣

「どうして私だけがこんなめにあわないといけないの」ドラマのセリフのような一節ですが、病は根拠なくやっては来ず、原因があると思っています。中でも生活習慣は大きな要素で、根本的な改善(治療)は生活習慣の変更だと思います(個人的見解)。生活習慣の中にリスクが隠れていた事を見つけられなかったり、知っていても改善しなかった事に後悔は発生します。正しく後悔したなら意識は前に。
〇生活習慣が原因であるなら、生活習慣をすぐに変えられる柔軟性が大切。

習慣と他人の目

病人は安静にして回復を待つものでしょうか?病人らしい病人では病人になってしまいます、禅問答のようですが癌患者らしい患者より元気な患者を目指すことを目標に生活習慣を変化させます。これを阻むのが周囲の目で、「・・・らしい人」を世間は好むようで、癌患者なのに病人らしくない事に違和感をもつ世間の目があることは理解しつつ、室内自転車トレーナーを購入し、タバタトレーニングを週3回で始めました(個人的見解による)。
方法は様々として、抗がん剤の治療は体力の消耗が激しく、厳しさに耐えらず血液数値が悪くなり治療を続けられなかったり、免疫低下で感染症を発症し治療を中断せざるを得ない事例が少なからずあります。
化学療法の抗がん剤は数回に分けて行われましたが、初回でも後半には食事ができなくなり、昨日食べた事の記憶が飛ぶなど厳しい現状がありました。
医師は治療ガイドラインで決められた数値や事象から外れた患者には抗がん剤の治療を継続できなくなってしまい治療は頓挫します。
〇患者と家族は医師の「治療に耐えられる良い状態の患者」を計画的に作り上げる必要があります。
①就寝時間を24~25時から→22:30に変更
②タバタトレーニング+朝のストレッチ運動+歩行や運動を増やす
③鉄分不足を補うために食べ物や飲料に使う水を鉄瓶で沸かした水を使う(Hbは正常値に改善した)

目標とあんぱん

癌患者と家族にとって苦しい治療に立ち向かうためには現実的な目標が必要です。(ツールド沖縄のボディウムも、富士ヒルクライムのゴールドやシルバーリングもご褒美が目標の維持に役立っているのだと思います)「病を治癒する事」は大切ですが、「死ぬほど辛いかもしれない治療」に立ち向かえるほど魅力的な目標とは成り得ません(死ぬほど辛い≧病死)。治癒に進むことが出来るご褒美のあんぱんを目の前にぶら下げる必要があり、あんぱんの中身は良く吟味する必要があります。
〇抗がん剤治療に耐えられる体力造りを想定して目標を作りました。
①那須ロングライド最長距離の山の上で配られる‟うなぎり”を食べる※1(鰻蒲焼おにぎり)(当時那須ロングライドは人気イベントで‟うなぎり”はSNSでエイドで食べると美味しいと話題だった)
②自然源流域で尺イワナ3匹を自分の力&ドライフライフィッシングで釣る※2(1時間かけて谷に降り、放流魚ではないイワナを釣る事を梅雨時期~10月まで趣味としていた)

※1:安全にロードバイクに乗れる事が必要で、妻には距離も登坂も未知の領域だった。登坂用ロードバイク(LOOK785)を目的のために組んで、那須ロングライド100km獲得標高2000mにエントリーする事は具体的な目標となった。(登れなかった時のために登坂を後ろから押す準備を同時に始めた)
※2:釣らせて貰える放流魚と違いハードルが多い。谷底に降りるには荷物(釣り具や食事、飲料)を背負い獣道を歩きロープを使ったりしながら川に降りるスキルが必要(帰りは登る必要あり)、熊や虫(吸血系)対策、川を渡ったり岩場を超えたり。尺サイズの数は多くない、川の流れを読んで定位している場所を考え正確にラインコントロールする技術を要求される。

治療について

癌細胞の範囲は画像診断でも確定できず(血液腫瘍マーカー検査は指標でしかない)腫瘍の広がり具合は手術で目視しないと正しい判断ができない(悪性腫瘍なのかは細胞を専門的に検査しないとわからない)当初「ステージⅠ~」の予想は、手術後に「腹膜側に届いている」判断となりステージⅢとされた。(どこまで広がっているかは増殖し見つけられた時の事後判断)
治療は何度か患者と家族に選択を求める場面がやってくる。癌細胞がリンパ系に広がっている可能性があり、最も近いリンパ節を除去するか否かと問われた。
①判断の決定権は患者側にある。
②医師は癌を治療しているので、リンパ節除去が癌細胞を残しにくいと説明する(癌が拡がるリスクの少ない方法を勧めるのは理解できる)(リンパ節を除去したリスクの説明もある)
③リンパ節除去は浮腫(むくみ)の副作用のリスクがある(QOLの低下)
④ステージⅢ確定で、抗がん剤の化学療法は行う事が前提条件
〇癌が治癒しても浮腫が残れば「健康な生活」には戻れない。リンパ系から広がっていたとして抗がん剤の化学治療は行う。「健康な生活に戻る」事を優先して判断した:リンパ節は除去しないで抗がん剤の化学治療を行う。

方向が決まれば「心」と「身体」を医師が治療しやすいように仕上げるだけと考えた。将来に不安は多いが、そこを考え悩む事に得は少なく、心身ともに健康な患者を目指す。抗がん剤点滴は入院して行ったが、病棟の巨大な本棚には漫画単行本が膨大で、妻と二人で抗がん剤点滴中に「弱虫ペダル」を1巻から集中して読み始めた。スポコン漫画に集中する作業は不安を生みにくく、希望を見るのにとても役立ったと思う(渡辺航先生ありがとう)。

抗がん剤の化学治療は一定期間を空けて数回に分けて行われたが、回数を追うごとにダメージは蓄積し体力を奪っていく。妻がショックだったのは頭髪がごっそり抜けた時で、短期間で完全に抜け落ちた(抜け始めると床に髪が散らばるので簡単に掃除できるコードレススティック掃除機を即座に導入した)。容姿の変化で引き籠るのは良くないと相談して、色々なウイッグを買ってパターンを変えながら外出を減らさないように心がけた。

経過観察

抗がん剤の化学治療に耐え、定期的に検査を行う日々が始まったが、生活習慣の意識と、体力の向上は行い(合宿のような釣行や富士ヒルへの参加など)習慣になるように続けた。
〇医師が治療ガイドラインに従って判断する「寛解」日が今日やってきた。

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