
瓶詰めお月さま通信{覚え書}①
『この世のあらゆる書物もお前に幸福をもたらしはしない。しかし、書物はひそかにお前をお前自身の中に立ち帰らせる』
誰にも語られず静かに眠っている、もはや目を覚まそうとも何者にも気づかれないけれど、確かにそこにあってかがやきつづける、しごく個人的なもの、ひとりずつの小さな花壇、特別ななにかのお墓。
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瓶詰めお月さま通信{覚え書}
『おわりの雪』
作:ユベール・マンガレリ
本が、自らこちらへやって来てくれることがある、それはほんとうにふしぎなことで、そう何度も何度もあるわけではないけれど、誰にでも平等にやって来るものだ。どんな本が訪れるのかは、その人にしかわからない、けれども、もしもそういう本が現れたらば、きっと分かるはず、(この)本は来たるべくして、自分(たち)のもとへ来てくれたのだ、ということが。
わたし自身、最近ではそのような出来事がめっきり少なくなった。まるでほんとうに時間泥棒に時間を盗まれてしまったかのように、血生臭いような虚ろで忙しい日々は過ぎてゆき、いつしかのんびり本と出会うことも忘れていたのかもしれない。だからこの『おわりの雪』という物語がわたしのもとへやって来てくれた時、それはたいへんに懐かしく、そしてまた新しい発見のようにも思えたのだった。
その日、わたしは久しぶりに本屋に足を運んだ、あまりお金もない生活だから本を買うというのもほんとうに久しいことだった。
バイトの勤務時間が終盤に差し掛かった折、ふと自分はある本のことを思い出したのだ、突然、お客さまの立たれたテーブル席を拭いている、そんな時に。それでわたしは、その本を帰りしなに買って行こう思った。その本は昔図書館で借りて読み、何れ手元に置こうと思っていたものだったが、そう思ってから実に数年が経っていた。
本屋に着くと、果たしてその本はちゃんと本棚にあった。そこで自分は、そうだ、今お財布に入っているお金で、買えるだけ本を買おう、と思いつき、お財布の中身を確認した。6000円ほど入っていた、ポケットマガジンサイズの本なら幾らか買える。それは今に思えば、ふしぎな思いつきだった、だって一月に自由に使える額の3分の1をそれに費そうというのだから。
本屋の中を隅から隅まで念入りに吟味した、どんな分類の本棚でも、何かおもしろそうなものはないかという思いで長いこと見て回った、事実、ほんとうにたのしそうな本が何冊もあった。
わたしはやっと数冊の本を選んでレジに向ったのだが、その途中で白水社のポケットマガジンの棚を見つけた、小さなスペースだった。タブッキの『インド夜想曲』の文庫本と同じ装丁のものが並んでいた。
全く見ず知らずのこの『おわりの雪』というタイトルがすぐに目についた。
その時、ほんとうに久しい感覚が、本を読む前から何かがこちらに開かれている、といったそんな感覚があった、確かにあった。
それはわたしにとって、とてもとても懐かしい感覚だった。この本にわたしは初めて会ったのに、知っている、とそう思った。そう思った瞬間に、いつかの夜、古いアパートの玄関先の灯りで読んだ本のことや、煙草を一箱吸いきりながら友人と長らく話し続けたことが鮮明に呼び起こされた、それらはわたしにとっては出会ったこの本と深く結びついていた、ものがたりのほうがこちらにやってきた、それは確かなものだった。
かくして、その日、自分はたいへんに満ち足りた気分で家へ帰った。それは雪の代わりに激しい寒風の吹く、ある午後のことだった。
それからしばらく経った今日、3月の初め、雪が降った、すぐにみぞれに変わってしまったけれど、確かに数時間にわたり、降り続けていた。
わたしは大粒の雪の中を車で走った、それは幾つかのおわりをつげる雪だったかしらん。
