STORY①
これから発売日までのカウントダウンブログとして
11/3まで毎日記事を更新します。
レーベルとしてのステートメントはこちらに書いた通りですが、
リーダーから書いた方がいいと言われて紙資料にも掲載した、セルフライナーノーツというかリリースに至るまでのストーリー、全6回です。
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初めて彼の名前を聞いたのは今からおよそ23年前、大沢伸一(MONDO GROSSO)さんの用賀のスタジオだった。
「今度な、新人のソウルの男の子をプロデュースすんねん」
それが椎名純平さんだった。
それからしばらくした夏、今はなき白金のソニー・ミュージックで、デビュー音源が上がったばかりのタイミングでプロデューサーのKONDIさんに最初のシングル「世界」を聴かせてもらって、ものすごい衝撃を受けた。
当時ハマっていたディアンジェロ的な枯れた音にストリングス、ウッドベースとリムショット、女性賛美の日本語の歌詞、そして美しいメロディーに乗る圧倒的な声とファルセット。
え、メジャーのレコード会社でこんなにガチなソウルミュージックをリリースすんの??
大沢さんマジすか!?
椎名くんは当時のソニー・ミュージック「オフィス1」でKONDIさんの打ち立てたレーベルコンセプト『21世紀のソウル・ミュージック』をまさに体現するアーティストだった。
それから2ndシングル「無情」のプロモーションとして都内クラブツアーを企画して一緒に回ったり、取材やラジオ収録に立ち会ったりしている中で、サングラス強面のイメージが強かった椎名くんは年も4つしか変わらなくて、実はとてもおしゃべりで気のいいアニキなんだということも分かってきた。
その後、なんだかんだ縁あって当時髪型がアフロだった自分がマネージャーとなり、カバーアルバム「discover」やアルバム「甘い夜の薫り」など数作を担当することとなった。
(続く)
「カフェインの女王」アナログリリースまで
残り14日。
第二回はこちら