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再会の贈り物のワインとして、シャトー・デスミライユの再会の物語
シャトー・デスミライユは、ボルドー地方のオー・メドック地区カントナック村に位置するメドック格付け第3級のシャトーです。1855年の格付け当時、シャトー・マルゴーの支配人であったシピエル氏の管理のもと、シャトー・デスミライユは高い評価を得ていました。
しかし、その後さまざまな困難に直面し所有者が何度も変わっていきます。
所有者の変遷、分散されたシャトーと畑
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メドック格付け第3級となったシャトー・デスミライユは優れた品質で評判を得ていましたが、20世紀に入ると所有者が次々と変わっていきます。
ドイツの著名な作曲家フェリックス・メンデルスゾーンの甥が所有していましたが、第一次世界大戦時に敵国資産とみなされフランス政府に没収されます。フランスの手袋職人に売却されましたがすぐに売却され、物理的なシャトーとブドウ畑が別々の所有者に渡る事態が起こります。シャトーはシャトー・マルキ・ダレム・ベッカーに、ブドウ畑はシャトー・パルメに売却され、畑はさらに細かく分散され複数の所有者による管理となりました。このように、シャトー・デスミライユは一度は消滅しかけた存在となってしまいます。
ルシアン・リュルトン氏による復活
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バラバラになってしまったシャトー・デスミライユに再び命を吹き込んだのが、ルシアン・リュルトン氏です。彼は多くの所有者に分散された畑を少しずつ買い戻し、1980年にはシャトー・パルメから最後の畑を取得しました。こうして1981年、シャトー・デスミライユの名が再び蘇り、1983年からはワインの品質も回復を遂げました。1992年までルシアン氏が経営を続け、その後息子のドニ氏が引き継ぎます。ドニ氏は父の意志をさらに発展させ、ワイン醸造施設の近代化を進めシャトー・デスミライユのさらなる発展に情熱を注いでいます。
再会の贈り物としてのシャトー・デスミライユ
シャトー・デスミライユは、バラバラに引き裂かれたものが再び一つに結びついた、再会の物語を持つワインです。20世紀に経営難に陥るシャトーは数多くありましたが、建物と畑が異なる所有者に分かれ畑がさらに細分化された例は非常に珍しいものです。そんな状態から再び一つのシャトーとして復活したシャトー・デスミライユは、再会の場で飲むのにふさわしいワインと言えるのではないでしょうか。