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ブンゲイファイトクラブ全作批評:Bグループ

Bグループ:不条理と選択

 Bグループの作品すべてに共通していたのは、どの作品も6枚という長さに意識的な作品だと読めたことでした。どの作品もこのサイズでパフォーマンスを最大に発揮するための試行錯誤がみられ、掌編としての構成力・安定感に高い水準を感じました。
 それはブンゲイファイトクラブというゲームをどう戦うかという選択にもつながっていたかもしれません。限られた枚数だからこそ作品を構成するモチーフ、技法、形式の選択が読み手に強く印象づけられるわけですが、Bブロックでは仲原佳『今すぐ食べられたい』六○五『液体金属の背景 Chapter1』首都大学留一『えっちゃんの言う通り』の3作品で不条理の物語が描かれていたと読みました。

『今すぐ食べられたい』は世界で歴史上一番美味しい肉を有していると確信した牛が人間に食されることに使命感を抱く物語です。そしてこのことが宣言される冒頭から安部公房『棒』のような「決して人間に食されることのない」という物語がひねくれた読み手は想起され、いわば「予定された不条理の物語」といった様相を呈しています。この作品が強い存在感を放つには、この「予定された不条理」をいかに回避するか、あるいは迂回し遅延させるかといった、メタ次元の運命との抗戦にあるわけで、「このままでは牛は誰にも食されずに生涯を終えてしまう」という状況のみへの執着では王道の物語のメインストリートだけを歩いた作品にしかならないという困難があります。牛がなぜこれほどに人間的な価値観を持ち、人間社会に献身的な思考を有しているのかについて、本作では「徹底して開き直る」ことを選択したのはユーモアとしてうまく機能していますが、ならば人間と比しても卓越した知性や深い哲学まで踏み込めれば、待ち構えている不条理に抗する手立てが得られていたのではないかと思えました。
『液体金属の背景 Chapter1』もまた安部公房の作品を思わせる構成をとった作品でした。安部公房でいうところの「失踪者を追うことによりみずからもまた失踪者となる」円環がこの作品では描かれていますが、この作品が独自性を備えているポイントは「個体群が円環構造を成す(=集団であることを放棄)ことにより高次の個体(=単一の伝導体=神)となる」と、地の文が突如ハードSF的な意識を表明して小説を乗っ取ってみせるラストにあります。地の文の語りを物語の上位空間にある知性体へと変貌する記述には迫力があり、その性急さがこの小説で描かれている情景以上のグロテスクさを備えている点をおもしろく読みました。ただ、その性急さの微妙な調整がまだまだ不完全な印象も拭えないのも事実で、「私」によって語られる事象が「私」であるがゆえに「個体」の域を出ず、「集団」らしさまでは踏み込めていないため、この尺でこの話を完結させるには世界中で同様のことが多発していることを示唆する記述が必要だったと思います。これがないと、長編のプロローグといった読後感で終わってしまい、それが惜しかったと感じました。
『えっちゃんの言う通り』は、山手線が突如アイドルのゲームに乗っ取られ、停車駅がランダムになるといった不条理の物語でした。そしてその不条理には悲壮感が脱臼されていて、目的地に停車するという本来であれば当たり前でしかないことに喜びや連帯が生まれるという、詐欺師的なアイドルイベントと化すユーモアは個人的に好きなお話です。この小説にそれ以上の価値を見出すためには残された鈴木にとって未だ終わらないこのイベントが何であるのかを感じとる必要があります。読後の余韻として漂う疲労についての解釈はこちらに委ねられているようですが、乗客を洗脳する「アイドル」像に踏み込む余地はまだあったのではないかと思えます。

 上記の不条理を描いた3作とは違うカラーを持った馳平啓樹『靴下とコスモス』乗金顕斗『カナメくんは死ぬ』の2作は小説創作におけるスタンスの両極に位置するような意思を持った作品に感じられました。
『靴下とコスモス』はまさに王道をいくような物語小説で、叙述形式を巧みに操った衒いや不条理がもたらす衝撃が排された静かで上質な作品です。ベランダに落とした靴下の片割れの観察と想起により、「そこにある」という事実が不在となり、ある日靴下がなくなることによって靴下の存在が色濃く現れるという認識の反転がつけいる隙なく高い完成度で描かれています。小説としての技術やクオリティはBブロックでは突出していて、最後の一文「口に含みもする」が、語り手が深層下に抱いていた寂寥の激しさを静謐さのなかで描きだすことに成功していると思いました。「この小説を正しく見つけ出す」ための文章の選択が一文単位で行われている秀作です。
『カナメくんは死ぬ』はBブロックのなかで最も安定性に欠いた作品で、またベケット『マロウンは死ぬ』が先行作品としてちらつくために一読した段階では高い評価をつけるのは難しいのではないか、と思わされました。しかし再読の過程で、この作品は記述された内容と小説が向かっている方向の乖離が高度な語りの技術として示されている点を評価したくなったという気持ちがあります。本作では「Aである」と見かけでは書かれる一方で「Aではない」という状態に思考を進めていく構造をとっています。それは枝分かれする二つの道の右を進みながら魂を左に預けるような試みで、「死ぬ」ことが書かれることにより「生きている」という状態が強調される仕掛けになっています。そうした意味では、この作品はBブロックで唯一「すべてを選ぼうとした作品」という巨大なスケールを持っているとぼくは読みました。しかしながら、やはり具体性の欠如や文章の空転により内容面での弱さや散漫さを感じずにはいられず、最終的に推すには難しいと感じました。

評価

仲原佳『今すぐ食べられたい』:2点
六〇五『液体金属の背景 Chapter1』:3点
首都大学留一:『えっちゃんの言う通り』:3点
馳平啓樹『靴下とコスモス』:4点 ★
金顕斗『カナメくんは死ぬ』:3点

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