生き急いでいた。私が大学1年で二回倒れたわけ
はじめまして。
びんかんみかんです。なぜ、びんかんみかんなのかは、また今度話すとします。
ちょっとした自己紹介をします。現在大阪の大学の四年生です。教育や福祉、保育を学んでいます。好きなことは寝ることで本当によく寝ます。料理も好きです。自分自身の何気ない気持ちを言語化していきたいと思い始めました。
タイトル「生き急いでいた」は、私の大学生活です。
少し生き急いでいた時代の前に遡りたいと思います。
小さい頃から、私はなんでもよく頑張り、よくできる方でした。どれくらいよく頑張るかというと、体育で持久走の授業が始まると知ると、その日から自主練習の始まりと言ったくらいに、素直に頑張るのが好きでした。 多分褒められたかったのです。そんな私は与えられた事に必死で頑張り続ける事に高校生までを使いました。勉強、部活動、学園祭、生徒会、さまざまな役をきっちりこなし続けました。それなりに楽しく、あまり挫折も味わいませんでした。
私はでも、頑張らないと愛されない、頑張らないと認められないとおもっていました。だから、頑張らない人を見ると、理解できなかったです。
大学に入ると、何を頑張っても自由になります。与えられた事を頑張ってきた私にとって、趣味はありませんでした。しかし、そんな自由とは裏腹に資格を2つとる私の場合、授業はパンパンでした。しかし、それでもまだ頑張れることはあると、頑張る事を見つけては打ち込んでいました。
資格取得の為の授業、茶道、掛け持ちのバイト、ボランティア、部活動、頑張れそうな物はなんでも頑張ってみました。ありえないと思われるかもしれませんが、私は、滋賀から大阪まで2時間半かけて大学へ通っていました。朝5時に起きて6時に家を出て学校へ行き、授業を4コマ受けた後、ダッシュで(本当に走って)帰り、居酒屋でバイトをし、深夜の1時に家に帰る毎日でした。もちろん、食事は昼だけもしくは、走りながらおにぎりを食べていました。土日も、朝8時から茶道、10時から12時までバイト、そのあとまた大阪に向かい、部活動を行い、また帰ってきて夜の塾講のバイトをするなどといった1日もやすみのないハードスケジュールをこなしていました。なにか頑張らないといけなかったのです。
生き急いでいた為に、夕飯が大切なことも、座ってご飯を食べる喜びも忘れていました。そこまで来ると、友人と遊んでいても、途中で少し帰りたくなってきます。この時間なに?と思えてくるのです。
そんなこんなで入学して2ヶ月たった日、体重は7キロ落ちていて、二回栄養失調、貧血で倒れました。
そこで気付きました。私が体を壊してまで頑張らなくても、私の代わりはいるし、私が頑張れば褒めてもらえるけど、頑張らなくても生きていてもいい。なら、自分のために生きるのがいい。
自分自身、生き急いでいました。頑張ると褒められ評価されるが、頑張らないと悪いになっていたのだと思います。
そんな生き急いでいた私も大学四年生になりました。もう少し、今までできなかった自分を大切にする事、自分の学びたいを大切にする事の継続の為に、大学院進学を希望しています。
そんな私が院試終わりに始めた事がこれです。自分自身を自分らしく言語化する事です。続く事を期待してはいませんが、自分自身の見つめ直しになる気がします。