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私の妄想力は53万です

夢のお話。

昨日みたいな、寝てる時に見る夢じゃなく、こんなこといいなできたらいいなの夢。

夢と目標の境界線は、羽生善治の名言にあるように、目指すか目指さないかの一点。

ものすごくどうでもいいけど、僕がこの言葉を知ったのは小学生の時使ってた公文式の下敷き。羽生名人の迫真の真顔がドアップで印刷されていて、それを見たクラスの女子に爆笑された。
顔も名前も覚えてないけど、今度会ったら自主規制。
そんなわけで、あまり好きな言葉ではない(八つ当たり)。



夢は目指した時から目標に変わるが、では目指さないと夢は夢のままなのか。

そんなことはない。

夢は目指さずに大事に抱え込んでおくと、ある時から妄想に変わる。

そもそも夢は、現実での経験や知識の蓄積に比例してアップデートされていくものだ。
目指しだして目標に変わると、多くの凡人は実現可能性との兼ね合いから現実路線に収束していくが、端から目指さないのであれば、「どうせ夢だし」と、あれもこれも、大きく膨らむ一方になる。

膨らみすぎた風船はやがて弾ける。夢の終わり、記憶の彼方にしまい込んで、時折その欠片を思い出して酒の肴にする程度。日々のささやかな目標、夢に育つまでもないそれを処理するのに忙殺されて、全く新たな夢を膨らませることもない。

あるいは、既に染み付いた現実主義が、それを夢ではなく即座に実現可能な目標と捉えて「思い立ったが吉日」「やれることから始めよう」、さっさと達成に向けて進み始めてしまう。

ある意味では、その成熟段階(自己責任で目標を設定し、実現できる)で「目標ではない、あくまでも夢」「できないことはわかっているけど、できたらいいな」という夢を抱くことは、「非生産的な理想主義」として社会悪になっている感がある。
「なぜできないと決めつけて、動こうとしないの?」
「できないとわかってるなら、何でそんなこと望むの?」
「夢見てるんじゃねぇ、現実見ろ」

閑話休題、以上は正常な凡人の場合である。夢は弾けて諦めてほろ苦い思い出となるか、実現可能な目標を建てて代替とするか。また弾けるためだけに抱く新たな夢は、共感を得られない。

しかし、いつまで経っても膨らみっぱなし、弾けない者もいる。

代替となる日々の目標に忙殺されない、あるいはどんな些細な目標ですら実現への道筋を描けない、未熟な現実生活を送る者。
現実経験や知識の蓄積もやがて滞り、膨れ上がった夢とのギャップを処理できなくなった時、夢は妄想に変わる。

過酷な現実に耐えきれなくなって夢の世界に逃げ込むのではない。夢の世界の豊穣が、未熟で貧相な現実を飲み込むのである。

「本当のオレ」の誕生である。



本当のオレは大震災で天涯孤独になってヤクザの親分に拾われたけどカタギとして育てられて12歳ぐらいから孤児仲間でバンド組んで瓦礫の街角で演奏してて復興のシンボルとして伝説のインディーズになったけどその一方で14歳ぐらいで量子コンピュータとそのインターフェースAIを独自開発して16歳で国立大学に飛び級進学して特待留学で世界50か国飛び回って帰国してからはバンドメンバーとYouTuberやりつつ個人所有の量子コンピュータへのアクセス権を世界中の科学者に貸し出す独立法人運営して毎年数多の人類史に残る発見に貢献してAIにもVtuberやらせてノーベル財団から特別表彰の話とかも毎年来るけどヤクザの金で作ったものだからって全部辞退して悠々自適にバンドやってたけどある日妖星ゴラス級の巨大隕石が地球に衝突することが量子コンピュータによって判明して世界各国の学者や首脳と極秘会談重ねて地上にスーパーメガ粒子砲設置して撃ち落とすしかないその設計はもちろん量子コンピュータにやらせて作ることはできるけど国レベルで周囲一帯吹き飛ばして放射能撒き散らす発射ボタンを誰が押すのか責任取って死ぬのはオレしかいないだろと一人メガ粒子砲の内部に残りAIに今後の全てを託して心静かにそのボタンを押す。



妄想は、創作のアイデアとは異なる。
フィクションとしての完成度、ストーリー性や躍動感を考慮しながら作為的に組み上げるものではなく、「こうありたい」という個人の欲望がダイレクトに蓄積されただけのもので、創造性の点では陳腐極まる。

いくつか抱え込んでる中で、一番ストーリー性が高いものを挙げた。ちなみに大震災とは東日本ではなく阪神淡路大震災である(年齢がだいたいわかる)。

他のは、超高校級天才バッターで現実の数倍怪物化した松坂と死闘を繰り広げた後に高卒で特例でメジャー行ってイチローにも一目置かれて、4割40本40盗塁とかやってたけど不慮の事故で野球断念して陸上に転向、軽度の身体障害が残るハンデを克服して十種競技で五輪金メダル、とか(書き起こすとホントに普通…)。

なお先に別段で書いた方は、要は元々「スーパー科学者になりたい」という夢だったわけだが、現実に存在する科学者にも、僕なんかの感覚からするとかなりチートな経歴や多芸をお持ちの方が割りといる。

この妄想が膨らみかけていた頃にその事実を知り、結局凡人は妄想ですら色褪せるものか、と理不尽な嫉妬を覚えたものである。

フォローとサポートの違い理解してなくて、調べてみてビビる