駅のきしめん
駅のホームに降り立つと、お出汁の香りがする。
新幹線の名古屋駅である。
だから私は、名古屋に出張があると、その日の朝食を抜く。もしくは、東京駅で駅弁を買わずに新幹線に乗る。
あの、駅のホームにあるきしめんを食べるためである。
名古屋への出張は、たいてい日帰りである。駅のホームで、立ち食いのきしめんを食べてから、改札を抜け、仕事を済ませて、再び駅に来る。そして、帰りの新幹線に乗る。それだけだ。
たまに、早く仕事が終わることがあると、駅ビルにある居酒屋に入って、手羽先やら味噌カツやらを、ビールとともにいただく。新幹線に乗る前の短い時間だが、いわゆる「名古屋めし」を堪能できる貴重な時間だ。
しかし、あるとき、珍しく名古屋に1泊することになった。
いつも、日帰りでゆっくり食事をする時間がないから、駅のホームにあるきしめんを食べていた。しかし、1泊するとなれば、話は別である。
せっかく時間があるから、駅のホーム以外のきしめんを食べてみたい。
そう思った私は、さして調べもせずに、駅ビルに入っているきしめん屋に入った。
「いらっしゃいませ~」
店員さんが席に案内してくれる。そうだよね、ちゃんと席に座って食べるのよね。立ち食いじゃないんだから。
メニューを見る。きしめん以外にも、名古屋名物がいくつかあって、セットメニューなんかもある。
ほほぉ。どれもおいしそう。
そう思ったけれど、結局、シンプルなきしめんを食べてみることにする。値段は、立ち食いきしめんよりも、ちょっと高い。
「お待たせしました~」
ほどなくして運ばれてきたきしめん。あのホームにあるきしめん屋さんと同じように、お出汁が香る。
「いただきます」
お箸できしめんを持ち上げ、フーフーフー。ズル、ズル、ズルッ……。
ん??あれ??
なんか、違う……。
なんか、違うと思いながら、もう一口。ズル、ズル、ズルッ……。
やっぱり、なんか、違う。
店が違うのだから、違うのは当たり前なのだが、なんというか、期待はずれだったのである。
ちゃんと、座って食べてるのに。立ち食いきしめんよりも、おいしいはずなのに。
う~ん……。
私は納得がいかないまま、その店を後にした。
そして、翌日。帰りの新幹線に乗る前のことである。
予約した新幹線の発車時刻よりも少し早めに名古屋駅に到着し、お土産屋さんをブラブラしていた。
すると、これから新幹線に乗るのであろう、サラリーマンらしき男性3人組が、私の前を通り過ぎていった。1人は白髪交じりのおじさまで、あとの2人は30代くらいだったと思う。おそらく、上司と部下なのだろう。
その、上司と思しきおじさまが、こう言った。
「あ~、今からじゃ、ホームのきしめんを食べる時間がないなぁ」
えっ?と思った。
ホームのきしめん?これから?
私はいつも、帰りはバタバタと新幹線に乗ってしまう。だから「帰りにホームできしめんを食べる」という意識がまったくなかった。
ああ、そうか。帰りの新幹線に乗るときも、ホームを通るわけだから、時間があれば、あのきしめんは食べることができるわけである。
そのことに、先ほどのおじさまのひとことで気がついた。
あの、ホームのきしめんが食べられる。
そう思ったら、居ても立っても居られなかった。買うつもりだったお土産選びをやめにして、急いで新幹線の改札を抜け、ホームのきしめん屋さんを目指した。
よかった。まだやってた。
自動販売機で食券を買い、扉を開けて、店内に入る。お願いします、と小さく言って、カウンターに食券を置くと、ほどなくして、そのカウンターにきしめんが置かれる。その日は、お揚げがのった、きつねきしめんにした。
「お待たせしました~」
いや、待ってない。待ってないよ。そう思いながら、きしめんの入ったどんぶりを受け取る。
かつお節がたっぷりのった、アツアツのきしめん。
フーフーフー、ズル、ズル、ズルッ……。
そう。そうだよ。この味。やっぱり、私にとって名古屋のきしめんは、この味なんだよ。
フーフーフー、ズル、ズル、ズルッ……。
は~、おいしかった。
ごちそうさま、と小さく言って、店を後にする。目の前の新幹線に乗り、指定の席に座ったら、急に眠気がやってきた。
気がついたら、もう、東京駅が目の前だった。