句読点

心が乱れている時、句読点を多用してしまう。例えば、「その時、悔しくて、僕は、泣いた」この様である。すると文章に、本当はあるはずのない、嘘の意味が込められてしまって嫌になる。無意識だから、仕様がない。抗ったって、嘘。遊びにもならない。今もこうして悩ましい。句読点、というタイトルを先につけてしまったのは、失敗だったのかもしれないと後悔している。思いついた時に、書かねばならない!と思ったから、僕は駄目であって、一丁前に悔しがるなんて馬鹿のすることだとも思うが、しかし、記録としていつか評価されるかもしれない。とどのつまり、期待をしているのである。本日は、敢えて句読点には飲まれずでいることを虚像に誓おう。そうして、正しく今の心持ちを測るのだ。僕は今日、どうやら、落ち着いているみたい。いや、やはり意識している。毛か、足の生えた黒い虫が、心の中でもぞもぞとしている。それが、目に、見える。視覚ノミである。痒くて気持ちが悪い。ああ、君のせいだぞ、こうなってしまっては、もう無理ではないか。白いページにも、たくさんいる。煙草でも吸えば、きっと、治るかな。眠っても、何も変わらないことが、一番の恐いことである。

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