【2】 東京限界 / アーユルヴェーダ in スリランカ 〜人生を変える医療~
改めて言うが僕はかなりラッキーな方だったと思う。一緒に暮らす看護師である彼女や、彼女に紹介してもらった漢方含むあらゆる医療に精通した優秀なお医者さん、仲の良い腕利きのマッサージ師さんや鍼灸師さん。それに僕を心配して時折顔を見せてくれる友人達。会社の人達も僕を心配し長期の休みも認めてくれていた。
もし一人で孤独に苦しみと向かい合っていたら僕の人生は狂っていたものになっていただろう。とても独りきりではでは痛みや不安に耐え切れず薬に走り、その後の人生も全く別のものになってに違いない。
人生とはとても不思議なもので、ある時の一つの小さな選択がその後の大きな分かれ道になる事がある。周りに恵まれて選択する事ができた僕はとてもラッキーだった。
それでも毎日はとてつもなく辛かった。
眠れない日々、うたた寝しても一時間後には呼吸困難やパニック症状で目が覚めてのたうち回る。少し身体を動かすだけでも至るところに激痛が走り身体が軋む。テレビやパソコンそれに携帯の画面も見るだけで頭痛がし、音楽を聴こうとしてもまた頭痛がする。立ち上がろうとするれば目眩がしブラックアウトして倒れこむ。ただ介護老人のように寝ているだけしかできなかった。本来であれば身体が自動的に調節してくれる身体の機能が壊れ、心臓が苦しい、呼吸が苦しい。生きる事が苦しい、、、。
僕は自身の身体を恨んだ。心底恨んだ。どうして僕の身体はここまで自分の意思に反する事ばかりするのか。どうしてもっと強い身体で生まれて来なかったのか。どうしてこんなに僕の身体は弱いんだ。僕は自分の身体を責める事しかできなかった。
でも本当はそれは間違いで、僕は長年に渡って身体の声を無視し続けていたのだった。身体を痛め続けてきていたのだった。それは僕の側の大きな罪であった。
倒れてからしばらくして、僕はようやく立ち上がって歩けるようになると、寝ているだけでは何も前には進まないと思い立ち、痛む身体を引きずってマッサージ、鍼やお灸の治療にできるだけ出向いた。担当医にもまずはリラックスして身体の緊張状態を解くのが一番と聞いていたので、できるだけプールにも出向いた。もちろんただ浮いたりジャグジーにつかったりするしかできなかったのだが。
マッサージ、鍼やお灸の治療、プールなどの直後は筋肉がほぐれて身体の循環が良くなり、瞬間的に痛みなども和らぐ。しかししばらくするとまた身体が硬直し痛みが始まる。身体の調節器官が壊れてしまっているので、瞬間的にほぐした硬直も結局はまた時間が経てば硬直をはじめる。調節器官が治らない限りは緩和と硬直の繰り返しが続くのは明らかだった。それでも痛みを少しでも和らげるならと通わずにはいられない自分が居た。
いつまでこの状態が続くのだろうか。果たして僕は回復するのだろうか。身体が元のように動く日々が来るのだろうか。常にそんな不安が頭を駆け巡りじっとしている事さえも辛い日々が続いた。
倒れてから3週間を過ぎたあたりで少しづつではあるが、激痛だった痛みが和らぐ日も増えてきたようだ。思考能力も朦朧と何も考えられない状態から一歩抜けて今後どうしたら少しでも早く回復するのかを考えられるようになってきた。でもそれは逆に僕をぞっとさせた。
とても数ヶ月で病気から回復し通常の生活ができるとは考えられない。看護師である彼女も何人もの僕のような重度の自立神経失調症の患者を見てきたが、通常2年から2年半社会復帰するのに時間がかかると言う。中にはもう何年も自律神経失調症に悩み続ける人さえもいるとの事だ。
僕はそんな自分の状態に焦った。とてつもなく焦った。まだ30代前半の志半ばの状態でそんな長い時間を失いえない。やりたい事はまだ山ほどあるし、それに彼女にそんなに長い時間迷惑をかけている自分もたまらなく嫌だった。この病気には焦りが一番ダメだと分かっていながらもとてもその焦りを止める事はできなかった。
将来を思い焦る度に、心が削れていくのが分かる。心が削れると身体が弱る。身体が弱ると心も弱る。この無限に続くかに思える苦しみのループが続いた。このループに気づいていながらそれを止める術が見つからなかった。
僕は必死に自律神経失調症について調べ始めた。自分が一体どういう状態で、どういう方法の治療が最も自分に適しているか。どうしたら早くこの状態から抜け出せるのか。それこそ死に物狂いで模索し始めた。
しかしながら僕は既に一般的に自律神経失調症に良いとされる治療法は全て行っているようだった。日々、神経を穏やかにする漢方を処方し、マッサージを受け、鍼、お灸、それにプールにストレッチ、適切な食事。これがやれたら理想なくらいの事を既に日々遂行していたのだった。それでも回復するスピードはとてつもなく遅く感じる。出口が未だ全く見えない。
長年の積み重ねで引き起こした病気なので、その分回復までも長い時間を要するとどの本にも書かれている。本来であれば気長に治療を進めなけれいけない病気なのだが、どうしてもそれが僕にはできない。常に焦り回復のスピードを遅くを感じ、また焦ってしまう。
日が経つごとにもの凄いスピードで自分が何処かに置き去りにされてしまっている気分になる。その焦りや不安が何よりもいけないのは分かっているのだがもはやその焦りを止める術が見つからない。
それは長年東京に住み、高速の時間の流れに身を投じてきた僕の時間軸のせいもあった。日々、最新の情報に目を見張り、凄いスピードで変わりゆくトレンド、時代の流れ、時間を常に気にして走り続けていた。忙しすぎる毎日はそれを当たり前のものとし、自分がそんな高速のスピードの流れの中にいる事にも気がつかない状態であった。
たとえ週の殆どを家の中で過ごしていたとしても、その長年身体に染み付いた東京のスピードを感じる。窓の外から聞こえる車の走る音を聞く度、人々が歩きながら笑う声が聞こえる度。僕がこうして家でじっとしている間にも時間は凄いスピードで流れて、街は変わり、人は変わり、僕だけが同じ場所で変わらずじっとしている。
だんだん、だんだん、外へ出るのも億劫になっていった。そのスピードを感じる事が嫌になっていった。目を閉じ、耳を塞ぎ全てを遮断したくなった。全てが嫌になっていった。
それでも僕の心の奥の小さな場所では、この無限に続くかのように思える不安のループを断ち切りたい、そう強く願っているのを感じていた。
そして僕はある時、一つの思いに辿り着いた。
「 東京を離れよう。」