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【1】 全てのはじまり / アーユルヴェーダ in スリランカ 〜人生を変える医療~


その時は突然やってきた。いや突然ではない。それは気がつかない間に確実にゆっくりとジワジワ忍び寄ってきていた。しかし僕にとってはあまりにも突然の事で戸惑った。


身体が動かない。立ち上がれない。息が苦しい、、、。


僕の身体に何が起こったのか。その原因さえも考える余裕もないくらいに思考が歪み身体全身が痛んだ。ある日を境に突然僕の身体は機能不全に陥り動かなくなってしまった。

側から見れば異常だと言われるのが当然の働き方をしていたかもしれない。当の本人はその忙しさを理由にして真剣に自分の身体を考える事をしていなかった。日本の社会では「忙しい」というのがちょっとした美徳で、忙しいのは嫌なのに「忙しい、忙しい!」と言っている自分をどこか少しカッコイイと思っている節が多くの人にもあるのではないだろうか。

かく言う僕もその一人だった。忙しくないというよりは忙しい方がいい気がしていた。いや更に言うとこの国には忙しくしていなければいけない空気があり、僕もその空気を当然のように受け入れていた。

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僕は割とラッキーな方で、自分がやりたかったファッションの輸入の仕事に就く事ができ、ファッションブランドの開発や契約、販売に欧州を2ヶ月に1度のペースで往復する日々を送り、自分のやっている仕事が大好きだった。

1日12時間以上働き、土日も休まない事も多く、常に全速力で駆け抜けていた。しかしそれは苦ではなかった。未来を創っているんだという心意気さえあって常に前を向いていた。


しかしそれは永遠には続かなかった。ある時期を境に少しづつ少しづつ未来へ対して不安という大きな雲が僕の心の中膨らみ、僕の行く先を覆うようになっていった。会社は年を追うごとに売り上げを伸ばし順調に成長していたし、その中で僕はかなり自由に仕事をさせてもらっていて充実しているかのように見えた。

それでも謎の大きな不安の雲はいつまでも消える事がなく、どこまでも遠い空まで続いているような気さえした。それはもしかすると少しづつ低迷する日本という大きな船と自分の未来を重ね合わせていたのかもしれない。理由は分からなかった。

それでも前に進まなくては行けない。ただがむしゃらに、いつかこの雲も開けると信じて走り続けた。不安を見て見ぬ振りをするようにただ走り続けていた。そうするしかないと思っていた。そうしなければ今にも不安に押し潰されてしまいそうだった。僕は走り続ける事が唯一の答えだと思っていた。

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でも僕の身体は違った。そんなむやみに走り続ける僕に身体は急ブレーキをかけたのだった。もうこれ以上走るなと。


今思うと倒れる一年以上も前から身体は赤信号を出していた。常に鉛のように重い首や肩、時折走る脇腹や背中の痛み、震える指先。それに突然の動悸や発汗それに夜中に呼吸困難で何度も目覚める事など。

数えればきりがないほど多くの赤信号を身体は出し続けていた。それでもそれを無視して走り続ける自分が居た。気がつけば何処に向かっているのか、それに何処を走っているのか分からぬまま走り続けていた。


壊れていたのは僕の身体ではなく僕の心だったのかもしれない。


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「自律神経失調症です。」


担当医にそう言われ僕は首を傾げた。元々病院嫌いの病名に関して全くの無知で何の事かも分からなかった。というよりその事を深く考える思考能力さえもままならない状態で、ただ担当医のいう事に頷くしかなかった。

端的に記憶に残ったのは、過労による極度のストレス、緊張状態が長期間続き、自律神経と呼ばれる神経が壊れてしまったとの事。身体全体の活動を調整する機能が異常をきたし、循環器、消化器、呼吸器などにもその影響が及んでいるとの事だった。

簡単に言うと身体がオーバーヒートの状態が長い期間続き、身体が神経が休む事を忘れてしまったようだった。そんな状態から身体の機能の調整をする自立神経が壊れ、筋肉や神経、骨の軋みや痛み、止まらない下痢、呼吸困難、パニック障害、意識の白濁など様々な症状を引き起こしていた。

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担当医が言うには薬で各々の症状に対しての治療はできるが、基本的には現在の医療では自律神経失調症に効く特効薬はないとの事であった。痛み止め、下痢止め、それに神経や筋肉の緊張状態を緩める薬、安定剤などはあるが、あくまでそれは各症状に対しての対処療法で根本的な自律神経失調に的確に効くものではなかった。

僕はある種ラッキーで、親身になってくれる担当医が正直に自律神経失調症や鬱病に対しての西洋医療の限界を話してくれた。ほとんどの病院では医者も患者から医療費を貰って経営するのが前提の為、有無を言わさずそれぞれの症状に対した薬を処方する。それも多種多様な多くの薬を。

僕の病気や鬱病、パニック症などの精神系の病気では、神経や脳を穏やかにする薬、抗うつ剤などを処方する事がほとんどなのだが、それを日々摂取していると意識が朦朧とし自分が自分であることさえもままらない蝋人形の様な状態になってしまうと言う。


結局のところ痛みや不安からは一時的には逃れられるが薬を止めればまたすぐ再発し、根本的な治療には至らない。ただひたすら痛みや不安を遠ざけて神経が安定するまで身体を休めて待つしかないとの事であった。その期間に薬は身体の中に深く浸透し、薬なしでは生きていけない人生になってしまう可能性を多く秘めている。


薬によってどんどん自分が失われていく。僕はテレビや映画で精神病棟に入った主人公が薬漬けにされ人格が希薄になり戻って来れないというようなシーンを思い出した。もしかするとあれが極端な例かもしれないと恐ろしく思った。

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自身も自律神経を壊した経験のある担当医は僕にこういった自律神経失調症や鬱病に対して日本の医療の現状を正直に話してくれた上で二つの選択を与えてくれた。

即効性のある神経の高ぶりや痛み、不安を鎮める薬処方し続け、痛みや不安を無理やり遠ざけた状態で過ごすか、即効性はないけれど漢方を処方して免疫力を上げ、痛みや不安に耐え忍びながら自己治癒力で少しづつ症状を改善させていく方法を取るか。

なんだか映画マトリックスの夢の続きを見るブルーピルか、辛い現実に向かうレッドピルを選ぶシーンに自分が置かれているような気分になった。

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僕はもちろん後者を選んだ。痛みや不安はとてつもなく辛いけど、僕が僕でなくなってしまう事の方がよっぽど怖かった。根本的に自分で治療しない限りいずれは再発してしまう。薬なしでは生きられないジャンキー人生なんてまっぴらだ。

製薬会社が強い力を持つ日本では薬は良い面ばかり強調されがちで、薬が及ぼす身体への負担や依存性はなかなか表沙汰になる事は中々ない。幸い僕には看護師である彼女がいて、以前にもこの自律神経失調症や鬱病に対する薬の精神に及ぼす危険性をよく聞かされていた。

身体中に走る痛みで意識が朦朧としていた中、薬物治療だけには頼らないとその意志だけは自分の中に強く持っていた。


こうして僕と自律神経失調症との長い戦いが始まった。


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