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【5】 吠えるジャガーと森の住人 / アーユルヴェーダ in スリランカ 〜人生を変える医療~


スリランカの4時はまだ闇だ。


僕の目の前に広がる景色は闇の中でぼんやりと光で浮かび上がるスピードメーターとヘッドライトの先に照らされる細い道だけだ。ハイウェイとは言い難い山道のような蛇のようにうねる道がどこまでも続く。


この国には街灯という概念がないのか、ヘッドライトなしにはとても前へは進めない夜の闇が広がる。明るい都会の夜に慣れてしまった僕の目にはその道がどこへ続くのか見当もつかない程ヘッドライトの先は暗く、高速に流れる景色を目で追うことさえ困難で自分が一体どこを走っているのかを見失った。僕はこの闇の中ではとても無力で高速に走る車のスピードを感じることでやっとだった。


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そんな僕とは反対に、運転手のファンキーなお兄さんはまるで暗視スコープをつけているのかと思うほど目の前のヘッドライトに照らされた細い道の先の道を見つけていく。それはまるで道路にレールでも引かれているかのように、ヘッドライトに照らされて白く浮かび上がる追い越し車線に沿ってなめらかに滑っていくようだ。


(ジャガーは安定感があって乗り心地の良い車だな。)


僕がそんな事を暗がりの車内で思っていると、ファンキーなお兄さんは助手席に置いてあった柔らかいクッションとペットボトルのお水を左手で掴み、後部座席に座る僕にそっと手渡してくれた。


「疲れているだろうから眠るといいよ。まだ時間がかかるからね。ところで早い運転大丈夫?」


お兄さんは優しかった。僕は勘違いしていたみたいだ。いくらド派手なカーリーヘアーをして金のネックレスを首にぶら下げて真っ青なジャガーに乗るからといって悪い人とは限らない。お兄さんの優しい言葉を聞いて怪しい人物だと決めつけていた自分の小ささを恥ずかしく思った。


「うん。大丈夫。疲れてるから少し寝させてもらうよ。ありがとう!」


僕はそう返事をしてお兄さんのくれた水を少し口に含み、柔らかなクッションを後頭部に挟んで目を閉じた。






身体が左右に大きく揺れる。


目をつむり、寝不足だった僕の身体はジャガーの心地よいスピード感で眠りの中に落ちようとしているところだった。その束の間の安心感が加速度を増す車のスピードに比例して少しづつ不安感に染まっていくのを感じ、僕は眠い目をうっすら開けて運転席に座るお兄さんを見た。


すると穏やかな顔をしていたお兄さんの眼光はどこか鋭いものになっており、ハンドルを掴むその身体は前のめりに傾いるではないか。


一体彼に何が起こったのか。


さっきまでそこに居た彼とは明らかに違う雰囲気で、まるで別人が運転席に座りハンドルを握っているかのようだ。ヘッドライトに照らされる目の前に広がる細い道を見ると、先ほどとは比べものにならない程のスピードで曲がりくねった白線が次々と僕に襲いかかった。


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「うわっ!!」

 

僕はその高速で迫りくるカーブに驚き目を覚ました。お兄さんは眼光鋭いその顔と前のめりにした身体をそのままに果敢に暗がりにうっすら浮かぶ白線のカーブに果敢に突っ込んでいく。急カーブもいともず、ブレーキを忘れたごときにアクセルを踏みしめている。その高速で次々に迫りくる急カーブの風景は僕の脳のキャパを明らかに超えるもので、僕の脳は危険信号を発し背中から汗を吹き出させた。


以前に趣味でレースに出たりしている知人のスポーツカーの助手席に乗せてもらい首都高を高速で走った事があった。その時に車のスピードでこんなにも身体にGを感じるものかと驚いたが、今はそのGをどこまでも続く深い闇の中で感じている。街灯に照らされる事を知らないヘッドライトの先の暗い道はどちらへ曲がっているかも見当もつかず、その中で感じるのGは僕には恐怖でしかない。更に僕の神経は病気と寝不足で高ぶり続け、まるで自分の身体中の神経が剥き出しに外気にされているようだ。


自律神経失調症という病気をよく鬱と勘違いされる事がある。それはまるっきり反対の意味で、人間には身体の機能の調整を司る交感神経と副交換神経というものがあり、一般的に交感神経は身体を緊張させたり興奮させたりする事により活動を促す神経であり、副交換神経は交感神経とは逆に身体の緊張を解きリラックスさせる為に働く神経である。鬱病の場合は副交換神経が活発になり過ぎて、無気力なやる気がおこらない状態に陥り、自律神経失調症と呼ばれる僕の病気の場合は、交感神経が活発になり過ぎて、全身の極度の緊張が発汗や動悸を推し進めてパニック症に陥いらせる。その為ちょっとした緊張でさえ、それをどこまでも増幅させ、異常な程の緊張感を感じさせて自分のコントロールを失わせてしまう。


車のタイヤが地面を擦る音、車体が風を切って突き進む音、目の間に迫り来る白線の映像、全ての音や目から入る映像が増幅され脳に鋭く刻み込まれる。それはまるで普段は皮膚に包まれている全身の神経が、脳や臓器が、外気にさらされ剥き出しになっている感覚なのだ。


夢の狭間に落ちかけていた僕の意識は一気に目の前にほとばしる現実に引き戻された。


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ヘッドライトのその遠くの方に赤いランプが浮かんで見える。赤いランプが道路に浮かぶ白い線に沿ってもの凄いスピードでこちらに向かってくる。あれは赤い街灯なかのか、それとも暗い道路に置かれた電光表示板なのか、その存在について思惑を巡らしている隙に、その赤く光るランプは一瞬にして目の前に大きく広がり、それが前を走る車のテールランプだと気がつく頃には、その赤いランプは左に振れ一気に後ろの流れる景色に姿を変えてしまった。


もの凄いスピードだ。まばたきする暇さえない。どうやら彼の言った「早い運転大丈夫?」といのは気遣いではなく「スピード出して大丈夫?」と言う確認だったのだ。「大丈夫だよ」と了承してしまったのは僕であり、これは覚悟を決めるしかないのかもしれない。神経を剥き出しにした僕はあまりの緊張で言葉も出ずじっと縮こまっているしかなかった。


このハイウェイらしき細く蛇行する道は、一応白線で仕切られた二車線になっているところもあるのだが、その一車線の幅は恐ろしく狭い。この真っ青なジャガーは、車一台がやっと通れるだろう幅の隙間を縫うようにして走り抜ける。高速で針の穴に糸を通すような極めて困難に思えるその芸当を鋭い眼光をしたお兄さんは表情を一切変えずやってのけている。


僕はどうやら勘違いしていたようだ。この真っ暗な宇宙に浮かぶ人工衛星だと思っていたこの青い塊は、人工衛星なのではなく、宇宙を高速で突き進む真っ青なスペースシップなのだ。スペースシップを運転するこのファンキーなお兄さんは言わば船長で、自分が宇宙のどこの座標にいるのか把握し、このスペースシップが進む進路の座標も正確にレーダーで把握しているのではないか。それほどまでに彼の運転は正確なものだ。


恐怖に怯え小さく縮こまる僕は何とかお兄さんの運転を信用しようと自分なりの解釈を頭の中に張り巡らせた。


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僕が目を覚ましてからの数十分の間に一体いくつもの赤く光るランプを後ろの景色に変えてしまっただろうか。彼はこの道をもう何十回も下手したら何百回も走ってきたのだろう。彼は自分の車を愛し、自分の運転の技術に大きな自信を持っているのだろう。そして何よりも走る事を愛しているのだろう。


彼は常に無表情で全てを高速で後ろの景色に変えてしまった。目の前に広がる景色を一瞬にして過去のものにしてしまった。それは本当に、どんな困難に動じず果てなき暗闇の宇宙を突き進むスペースシップの船長のようだと僕は思った。時折、通り過ぎる車のテールランプの光に浮かぶ彼の無表情さに僕は誇らしささえ感じ始めていた。


「うわっ!危ない!!」


そんなことを思ったのも束の間、僕は一瞬目の前を横切る物体に驚き声を上げた。


「起こしちゃった?大丈夫?まだ着かないからもう少し寝てていいよ。」


そんな僕をよそにファンキーなお兄さんはとても落ち着き払っていた。僕はそんなお兄さん気遣いを流し聞き、後ろの景色に置いていかれた先ほど目の前を横切った物体を目で追いかけた。辺りは少しだけ朝を迎えようとする景色に変わってきている。宇宙のようなどこまでも広がる闇を抜け、遠くの空がぼんやりと薄いグレイになりかけていた。そんな景色の中に目を凝らし後ろを見つめると、僕の目の前を横切ったその物体もこれから始まる朝を迎えようとする一人であった。


その横切った物体は、何食わぬ顔で半裸の姿で自転車を漕ぎ何処かへ向かうスリランカのおじさんだった。


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こんなまだ日も昇らない時間から何処かへ出勤するのだろうか。こんな暗いハイウェイのような道でサイクリングでもしているのだろうか。そんなおじさんの姿が見えなくなり前を向こうとすると、再び先ほどの自転車に乗るおじさんに酷似した姿が再び窓の脇を過ぎ去った。右側にも左側にも、繰り返し繰り返しおじさん達はジャガーの窓から見える景色の中を過ぎ去った。


気がつくとおじさん達が増殖していた。高速で闇を突き抜ける青い物体を無いものとするかのように、まだ暗い夜のとばりの中おじさん達の姿が窓の脇を次々と通り過ぎていく。いつの間にかこのスペースシップはおじさん地帯に侵入していたらしい。


すると突如ジャガーが吠えた。


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「パァッパァー!!」


まだ朝とは程遠い闇の中で急カーブを目の前にてその唸り声が森の中をどこまでも突き抜けた。ファンキーなお兄いさんはスピードを緩めない。未だ明けぬ山の夜の闇の中にジャガーのクラクションがこだまする。


「パァッパァー!!パァッパァー!!パァッパァー!!!!」


そのジャガーの唸り声の主であるお兄さんの気でも触れたのか彼の顔を覗き込むと、お兄さんの表情は微動だにしない。相変わらず次々と迫り来るヘッドライトに浮かぶ鋭く曲がった白線を目の前にしてひたすらジャガーを吠えさせているではないか。その繰り替えされる行為の中での共通性を探していると、どうやらそれは急カーブを目の前にクラクションを鳴らしているようだと僕は気がついた。


急カーブの先で早起きなおじさん達が道を渡らないようにクラクションを鳴らし続けているのだった。普通ならスピード緩めればいいのにと思ってうまうのだが、ファンキーなお兄さんは俺の道だと言わんばかりに急カーブを前にクラクションをけたたましく夜の闇でなり散らす。


ジャガーが吠える。そしてまたジャガーが吠える。しかしそんなジャガーの唸り声が響く中、おじさん達は聞こえているのかいないのか俺の道だと我がもの顔で平気で道を横切ってしまうではないか。


「危ない!!!!」


僕は時折、目の前を横切るおじさん達を目にして身体を乗り出して身構えた。運転に夢中なのかそんな僕の驚きにも無反応で、ファンキーなお兄さんは相変わらず無表情で夜のとばり中アクセルを踏みしめる。気がつくと僕は緊張の連続で背中にびっしょり冷や汗をかいていた。
そんな僕の背中の汗はよそに、走りを愛するこのファンキーなお兄さんの無表情の中にある鋭い眼光を見ると、彼の心意気はもはや誰にも止められないと僕は半ば諦めの気持ちになっていった。僕はカーブの先におじさんが居ないのをひたすら願った。


しかし人間の慣れというものは恐ろしいもので、はじめの数十分は怖くて座席にしがみつき、目の前に迫り来る対向車や夜道を横切るおじさん達に気を張りながら身体を硬直させていたが、半ば諦めの気持ちか、だんだんと尖らせていた神経も少しづつ丸みを帯びてきた。と言うより、しばらくまともに寝ていない僕の身体はもう限界だったのかもしれない。身体が勝手に停止状態に陥ろうとしていた。それに夢中な顔になっている人には僕はとても弱い。お兄さんは走りを愛し過ぎていた。


「 I trust you ! (信じているよ!)」


僕はせめてもの事故への心配の気持ちを伝えたくてとそう言うと、再びクッションを頭の後ろにまわした。僕の声を耳にして彼の口元がニンマリと緩るまったのを目にして、僕は窓の外の景色を眺めた。


辺りの空が少しづつ透明に近い青色を帯びた靄と柔らかなオレンジの光に包まれ始めていく。太陽が昇り始めてきたのだろう。昇る朝日に照れて闇から顔を出し始めたその風景は、空までも続く濃い緑色をした熱帯雨林のジャングルとそれを超える果てしない大きさの海だった。


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気がつくと外の風景は山道を抜けまっすぐに伸びる海岸線を走っていた。その深い色のジャングルとインド洋の荒い海を見て僕はスリランカにいるんだと改めて実感した。そんな雄大な自然の風景を横目に、少しづ増えてくる朝日の暖かさに心を許して僕は現実と夢の狭間を行ったり来たりして心地よい気分になっていた。


「もうすぐ着くよ。」


彼の声を耳にして僕はその狭間の世界から意識を取り戻そうとゆっくりと身体を起こした。窓の外の風景はいつの間にか小さな街の景色に変わっていた。通常2時間半から3時間かかると言われてた移動時間だったのだが、時計に目をやると出発から1時間ちょっとしかたっていない。そのあまりに早すぎる到着に驚いている僕を横目で見た彼は言った。


「更新記録だ。」


ファンキーなお兄さんは満足そうに笑い、ゆっくりとホテルの前に車を止めた。


( 無事について良かった、、、。)


僕は彼に気づかないようにそっと安堵のため息をついてホテルの玄関に降り立った。


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後で分かった事実だがファンキーなお兄さんも相当なスピード狂のものすごいドライビングテクニックを持ったドライバーであるのは間違いないのだが、基本的にスリランカの人の運転は世界トップクラスに荒い。公共のバスであろうとファンキーなお兄さんと同じように平気で前の車をクラクションをけたたましく鳴らしながら抜いていく様があちらこちらで見受けられる。


皆が同様に俺の道だ!と言わんばかりにお互いを追い越し合うのだ。その為にスリランカでは交通事故も多く、初めてスリランカに来た旅行者は皆口を揃えてスリランカ人の運転が怖いと言う。


普段はとても穏やかな人柄のスリランカ人は、ハンドルを握ると人が変わる国民性だったようだ。


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