スベっる心理学67〜坂本クエストの向かう先編〜(長編小説)
池沼はその後、従業員の無礼を謝罪したいと本谷に申し出た。
何度も必死にお願いをし、なんとか謝罪の場を得ることが出来た。
元気は、池沼が『PZグループ』の本社に後日、謝罪に行くことを知ると、自分もその場に同行させてほしいと願い出た。
池沼は、短距離走の選手のスタート時の反応の如く、即座にそれを拒否した。
しかし、元気は引き下がることなく、しつこく懇願する。
池沼は、「駄目だ!」と激怒したように一喝したが、元気は臆することなくお願いし続けた。
池沼は、元気の熱意というよりは常軌を逸したしつこさに辟易とした様子で、しかたなしにといったように同行を承知した。
数分後、本谷に謝罪をするために『PZグループ』本社に来た池沼と元気は、一階の受付で用件を伝えた。
二人は、エレベーターに乗って本谷のいる社長室に案内された。
受付の女性が扉を開けると、部屋には本谷の姿があった。
本谷とテーブルを挟んで向かいに、池沼と元気がソファーに座り、話し合いが始まった。
「この度は、従業員の坂本元気の失礼な行いにより、不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「申し訳ございませんでした!」
池沼が深々と頭を下げると、元気も続けて頭を下げた。
「……お二人とも、顔を上げて下さい」
二人は、言われた通りに顔を上げる。
「坂本さん」
「はいっ!」
元気は本谷に名指しされると、緊張のために返事をする声がうわずった。
「そんなに緊張なさらないで――今からあなたに一つだけ質問をします。よろしいですか?」
「はいっ!」
元気は再度、声がうわずってしまった。
本谷は我が社の命運を握る人物である。
元気にしてみたらライオンが目の前に居て、緊張するなとは無理な話である。
「それでは訊きます。もし、PZグループが御社との取引を、今後行わないと言ったらどうしますか?」
本谷がそう尋ねると、池沼の顔色はみるみると青ざめていく。
いっぽう、元気はそれ以上に凍りついていると思いきや、目の色が変わった。
サラリーマンとして格上の人物に媚びるような目ではなく、友と夢を語り合う時のような、嘘偽りのない、誠実でまっすぐな目である。
「それは困ります。そんなことになったら私たちの会社が無くなってしまうかもしれません。池沼社長は私たち従業員にとってスーパーマンです。普段は厳しいけれども、私たちがピンチの時は、必ず守ってくれます。大きなミスをしても、一生懸命にやっていたら絶対に見捨てたりはしません。どうしたらよいのか、一緒になって考えてくれます。池沼社長は、私たち従業員にとって、無敵のスーパーマンであり父親なんです。そして、私たち従業員は、みんな仲間であり兄弟です。ですから、そんなことになったら困るんです。本谷さんが今後も取引を続けてくださるのなら約束します。もしもこの先『PZグループ』が、本谷さんがピンチに陥るようなことが起こったのなら、私たち家族は、命を懸けて本谷さんたちと共に闘います」
元気は嘘偽りのない正直な目で、本谷の目を逸らすことなくそう言い切った。
本谷はそんな元気の目を見て、数ある取引先のうちの一社に勤める、『PZグループ』の利害にたいして影響力を持たないような、坂本元気を下に見るような目ではなく、まるで大切な仲間に向けるかのような眼差しである。
そして、本谷は“頼みましたよ”というような表情で、一度うなずいた。
池沼と元気はPZグループ本社を後にすると、タクシーに乗って自分たちの会社に戻った。
車内では、取引の継続が決まったためか、池沼は安堵したような表情を浮かべている。
元気は、凛々しい顔つきで外の景色を眺めている。
池沼は、“ありがとう”といったように、元気のほうに顔を向け、何も言わずに彼の肩に軽く手を置くと、元の位置に戻して前を向いた。
元気は池沼を見ると心からの笑顔になり、再び外の景色に視線を戻した。
会社に到着すると、元気はいつも通りの業務に戻った。
仕事を終えると、元気は寄り道することなくまっすぐ自宅に帰った。
到着して部屋の明かりを点けると、定位置である座布団の上にあぐらを組んで座った。
元気は今日の出来事、そして詩織とのことを思い返しながら、言葉ではなく感覚として感じていた。
人として大切なことを……。
意味を……。
元気は、目の前のテーブルの上に置いてある、「坂本テクニカル・心理メソッド」の書かれたノートを手に取った。
(……大好きな人にテクニックとか、違うだろ。上っ面の言葉を並べて好きになってもらおうなんて、ふざけるなって。心でぶつかっていかないと)
元気は、手に持っているノートを、ためらうことなくゴミ箱に破り捨てた。