見出し画像

スベっる心理学57〜河川敷は不思議スタンダード編〜(長編小説)

翌日、会社の昼休憩時に元気と洋平は、テーブルを挟んで向かい合わせに座り、自分で用意した手作り弁当を食べていた。

「……吉沢の弁当、毎日から揚げが入ってるな。学生みたいだって」

「そういう坂本さんこそ、お米のボリュームのわりには、極端におかずの量が少ない気がします。なんか、おかずが壮大な海の上に、ポツリと一羽休憩しているアヒルのようです」

「それじゃあ、オレの壮大な海を少し持っていっていいから、そのエビチリと交換だって」

「イヤです」

二人は、互いに自分で用意してきた弁当の評価、というよりは批判をし合いながらも、ニコニコしながら楽しそうに食べていた。

「それで昨日はどうだったんですか? おもしろい人は居ましたか?」

「……いや、昨日は行ったけど人っ子一人いなかったって」

元気は、しどろもどろになりながら嘘をついた。

「そうだったんですか。あんなに天気が良かったのに誰もいなかったんですか?」

「そ、そうだって。運が悪かったんだって」

「せっかくの休日、一日無駄になっちゃいましたね」

「そんなことないって。犬なら居たし」

「え、野良犬ですか。一人で大丈夫だったんですか?」

「い、いや違うって。犬の形をした手作りクッキーが横に置いてあったんだって」

「そうだったんですか」

元気の苦し紛れの嘘を、洋平はこれ以上追及しようとはしなかった。

元気は嘘をつき始めてから、箸だけが口もとを行ったり来たりの動作を繰り返し行っている。

だが、洋平はあえて何も言わずに気づかないフリをしているようであった。

「今週の日曜日は何時に待ち合わせしますか?」

洋平がそう尋ねると、元気は思わず箸を手から放して落としてしまった。

「あっ、大丈夫ですか」

「セーフ。テーブルの上だって」

元気はそう言って、テーブルの上に落とした箸を取ろうとすると。

「……アウト」

「あっ」

テーブルの上の箸は、元気の手から逃れるように転がり始めて床に落ちた。

「吉沢が変なこと言うからだって」

元気は、文句を言いつつ床に落ちた箸を拾った。

「変なことなんて何も言ってないじゃないですか」

洋平は、子供が学校帰りに友達の家に行って、はじめから壊れていたプラモデルを壊したと濡れ衣を着せられて、必死で否定するときのような表情、口調であった。

「“自分探しの旅”は昨日で終わったんだって」

「やっぱり昨日、何かあったんですね?」

洋平は、核心をつく質問をした。

「見つかったんだって、自分が」

「そうなんですか」

「そうだって! 吉沢、オレにはやっぱり『坂本テクニカル・心理学メソッド』しかないんだって!」

元気はまた河川敷に行って、母親とゲンタクに遭遇すると気まずいという本音を隠していることを悟られないように、声を張り上げてごまかそうとした。

「ちょっと、会社の中でそんな大声出さないでくださいって」

洋平はそう言うと辺りを見渡した。

案の定、周りにいるほとんどの従業員と目があった。

「吉沢、桜井さんともう一度デートがしたいんだって」

打って変わり、洋平にしか聞こえないほどのボリュームの声で言った。

「応援します」

洋平は、心の底から応援をしているような、熱い様子で言った。

「ありがとうな。それじゃあ、セッティングはまかせたって」

「え、ボクが連絡をするんですか?」

「オレが連絡しても会ってくれない気がする。だから頼むって」

「そんなことは……分かりました。ボクのほうからお願いをしてみますけど、日時と場所は坂本さんが決めてくださいね」

「ありがとな」

二人は、本物の男の絆を感じさせるような目で見つめ合った。

元気は、その日の仕事を終えて自宅に帰ると、一目散に冷蔵庫の扉を開けて、チャック付きのビニール袋に入った、「坂本テクニカル・心理学メソッド」の書かれたノートを久しぶりに取り出した。

(冷えてる冷えてる)

元気は、お風呂あがりに冷蔵庫から取り出した、よく冷えた缶ビールを飲む時のような笑顔を見せた。

そしてページをめくっていき、ひとつずつのメソッドの精読をした。

(……次がラストチャンスだって)

元気は、前回精読をした時の自信にあふれた表情とは打って変わり、初めて一人で切符を購入して電車に乗る時の子供のような、不安に満ちた表情で、ノートに書かれた文章を精読している。

(……まずい、明日仕事だって)

掛け時計に視線を移すと、午後十時を過ぎていた。

元気は慌てて食事を済ませると、歯を磨きシャワーを浴びてから、再び時計を見た。

(午後十一時前の男。このスピードがあれば詩織さんと行く水族館、絶対に大丈夫だって……いや、このスピードじゃまだ……)

元気はそう思うと、冷蔵庫の扉を開けてキャベツを取り出した。

そして、キャベツの葉を数枚はがしてまな板の上に置くと、包丁を手に持って千切りを始めた。

週に一度は行っているためか、専業主婦も認めるほどの腕前である。

しかし元気の表情は、スランプを脱しきれずにいるスポーツ選手のようである。

(このスピードじゃないって、このスピードじゃないって、こんなスピードじゃ――) 

元気は、自信を見失い……

「……このスピードだって!」

どうやら、坂本元気は復活したようである。






いいなと思ったら応援しよう!