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スベっる心理学35〜システムの穴の穴編〜(長編小説)

「でも――ここは男であるボクが漕ぎますのでお任せ下さい」

「結構です。何をしでかすか分かりませんから、怖くて任せられないです」

「――桜井さんに何かあったら大変です。さぁ、交代しましょう」

「結構です。ボートの上で悪ふざけなんかして、転覆でもしたらどうするんですか」

どうやら、手漕ぎボートに乗っての水の上での悪ふざけは、詩織の“プンプンスイッチ”を押してしまったみたいである。

(まずい、怒ってるって。悪ふざけって、自分だって『イエス、アイアム・ボートレーサー』って言ってたくせに。まずいって……いや、大丈夫だって、いま使った『吊り橋効果』は失敗だったけど、さっきの『メラビアンの法則』は上手くいったじゃないか。それに、この有森公園はオレのホーム。メソッドでいうところの『ホームグラウンド効果』だって。勝敗でいったら、二勝一敗で勝ち越しているじゃないか)

元気はそう前向きに考えると、不意に空を見上げた。

それから三十秒ほど経過したが、上を向いたままである。

詩織は、元気が何を見ているのか気になるのか、オールを漕ぐのを中断して、顔を上げて彼と同じ方角に目をやった。

空は雲一つない晴天であり、太陽とスカイブルー以外、何も見当たらない。

「何を見ているんですか?」

詩織は上げていた顔を元に戻し、元気に視線を向けて尋ねた。

「青空を見ているんですが、味が……」

元気は、上を向いたままそう答えた。

「“あじ”ですか?」

「そうです。青空ってニボシのような味がするような気がするんです」

「――ダシ職人か。ユニークな発想だと思います。もうお昼ですね。降りたら何か食べに行きませんか?」

元気の能天気な言動によるものなのか、彼女の人柄なのか、はたまたプンプンスイッチにはタイマーが作動していてスイッチがオフになったのかは定かではないが、詩織に笑顔が戻っている。

「もちろんです、行きましょう」

元気は、顔の向きを青空から詩織に移すとそう言った。

「桜井さん、代わってくれませんか?」

「ありがとうございます。お願いします」

詩織は、元気にオールを渡した。

「近くに美味しいお店なんかありますか?」

「もちろんあります。とっておきのお店が」

「とっておきのお店、行ってみたいです」

詩織が微笑みながらそう言うと、元気は嬉しそうにして、三連続でうなずいた。

「どんなお店かな。楽しみです」

ボートがスタート地点に無事に到着すると、元気は詩織とのランチのことで頭がいっぱいのため、ボートと乗り場の隙間のことなどはすっかりと忘れてしまっており、今回はすんなりと降りることができた。



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