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スベっる心理学54〜河川敷は不思議スタンダード編〜(長編小説)
「母ちゃんいいかい、コイツはまだ子供なんだ。そんなに強く投げたら追いつけないって。もう少しゆっくりと飛ばしてあげないとダメだって。手本見せるから、ちゃんと見ときなよ」
元気がそう言うと母親は頷き、刺しゅう針の穴に糸を通す時のような、真剣な表情で元気の手もとを見た。
「よし、ゲンタク行くぞ。男を見せてみろ」
元気はゲンタクを見てそう言ってベンチから立ち上がると、遠くを見て、多恵子が投げた時よりもしなやかに手首のスナップを利かせながら、フリスビーを放した。
フリスビーは、先ほどよりもゆっくりとしたスピードで飛んで行く。
「ゲンタク、ゴー!」
元気は、ゲンタクの負けじ魂を呼び覚ますように、気合いの入った掛け声をかけた。
しかし、ゲンタクは……。
「……なんでだよ!」
ゲンタクは、元気が投げたフリスビーとは逆の方向に走り出した。
そして適当な距離まで走ると、反転して戻って来た。
フリスビーのほうには目もくれていないようである。
「……何でオレが投げてオレが取りに行くんだよ!」
元気は不満を漏らすと、ゲンタクに負けないスピードで、芝生の上に落ちたフリスビーを取りに行った。
元気がフリスビーを取って戻って来ると、多恵子は“良く出来ました”というように、笑顔で拍手をした。
ゲンタクも、元気の周りを元気よく走って祝福しているようである。
「オレだってやれば出来るんだって――って違うだろ。あんたらおかしいって」
元気は必死である。
「ゲンくん素敵よ」
「母ちゃん、頼むからやめてくれって。こんなところ知り合いにでも見られたら、いっしょう花婿に行けないって」
元気はたじたじである。
「ゲンタクもすっかりゲンくんと打ち解けてくれたみたいで、ワタシは嬉しいよ」
「どこがだって。オレの投げたフリスビー無視しただろ――でもコイツ、なかなかカワイイな……」
元気はそう言うとゲンタクの前で屈んで、右手の人差し指を立てて、自分の顔の前に持ってきた。
「ゲンくんどうしたの? 気にさわったんなら謝るよ」
多恵子は息子が変なポーズをとりだしたことに、不安げな表情を浮かべた。
「母ちゃん、少しの間静かにしててくれって。分かりそうなんだって」
「そうかい、静かにして待つよ。地球は青いねぇ」
母親の発言に、今度は元気が不安げな表情を浮かべた。
「……チン!」
「パンでも焼いたつもりかい」
「母ちゃん違うって。ゲンタクの考えていることが分かったんだって」
元気はそう言いながら、その場に立ち上がった。
「あら、本当かい? 大人をからかったりするものじゃないよ」
「からかってなんていないって。本当だって」
「ウソついたら針千本、買ってもらうよ」
「ウソついていなくても、針千本ぐらい買ってやるって。いいかい母ちゃん、よく見てなよ」
「ウソついたら針千本、買ってもらうよ」
「分かったって。針千本も何に使うんだよ。まぁ、見ててくれって。……ゲン、ゲン、ゲンタクよ、おまえのことなどお見通し。さぁ、さぁ、行きますよ。これぇがおまえのハートだぜ、へぃ!」
元気は三流にも満たない、下手なラップ調の歌みたいなものを披露した。