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スベっる心理学65〜坂本クエストの向かう先編〜(長編小説)


元気にとって、最悪の一日となってしまったあの日から三日が過ぎた。

元気は会社でいつものように業務に励んでいる、というよりは消化していた。

大好きな人に嫌われてしまったことによる心の傷は、たった三日ではどうこうなるものでもなく、彼は惰性でなんとか仕事をこなしていた。

そんな中、我が社の命運を握っていると言っても過言ではない、『PZグループ』本社の代表取締役である本谷(モトヤ)がご来訪していた。

五分ほど前から応接室では、我が社の創業社長である池沼武夫と、大事な取引の交渉が行われていた。

事務室にいる八人の従業員たちは、おもてなしの和菓子とお茶を誰が持って行くかを話し合っている。

当社には受付担当の者はいない。

従業員たちは、失礼があってはいけないと、緊張のためか誰も行きたがらないでいる。

急がなければならず、このまま話し合いを続けていてもらちが明かないと、従業員の一人がジャンケンで決めようと言い出した。

それに対して洋平は、「勝った人と負けた人、どちらが行くんですか?」と真剣な表情できいている。

このようなメンバーの集まりで、この会社の先行きは大丈夫なのであろうか。

「みんなして、何をそんなにオロオロしているんですか。これも立派な仕事の一環なんですから、みなさん、しっかりして下さいよ」

少し離れた所から事の成り行きを見ていた元気は、少し苛つきながらそう言った。

この状況の中では、社会人として元気が一番適切な言動をとっているのかと思われるが、当の本人は、自暴自棄気味になっているだけであって、誰かに食ってかかりたいだけなのである。

「これを持って行けばいいんですよね。ボクが行きますよ」

相変わらずの強めの口調である。

しかし他の従業員たちの目には、いつもとは違う頼もしい元気として映っているかのように、ちょっとしたヒーローを見るかのような眼差しでさえある。

元気は二人ぶんの和菓子とお茶の用意されたお盆を手に取ると、廊下に出て応接室のほうに向かって歩き出した。

そして、応接室の前に到着して一旦立ち止まると、ドアをノックすることなく、ドアノブを回して扉を開いた。

部屋の中に居た本谷と池沼は、テーブルを挟んでソファーに向かい合わせに座っており、二人はほぼ同時に元気のほうを向いた。

本谷と池沼の表情は、元気のとったこの行動が、まだ非常識な事だとは理解が追いついていないといったところである。

「失礼します!」

元気は大きな声で、まるで相手を威圧するかのような言い方であり、お辞儀をした。

「坂本くん……」

池沼は、元気のただならぬ雰囲気を察知したかのように、表情がこわばっている。

元気は、テーブルの前まで来ると片膝を地面に着けて、手に持っているお盆をテーブルの端に置いた。

本谷と池沼は、会話を中断して元気を見ている。

元気は、まずは茶托を本谷の分から少し強めにセットした。

メンコを地面に叩きつけるように、というのは誇張した表現ではあるが、音が部屋全体に響くぐらいの強さではある。

きっと、誰でも不快感を覚えることであろう。

元気はムスッとした顔のまま、同じぐらいの強さで、始めにお茶ではなくフォーク、おしぼり、和菓子を置き、最後にお茶を置きにいく。

そして、お茶を置く際に強めに置いてしまったため、高温の液体が少し外に飛び散ってしまった。

そして、その一部分が本谷の着ているスーツと、手の甲にかかってしまった。

「熱っ」

本谷はそう言うのと同時に、液体がかかった右手の甲を、反射的に膝の位置から胸元の辺りに引いた。

「大丈夫ですか! 申し訳ございません!」

慌てた素振りで前のめりになり、右手を本谷のほうに差し出しながら謝罪をしたのは、元気ではなく池沼であった。

「……このくらい大丈夫ですよ」

本谷はポケットからハンカチを取り出して、手の甲とスーツに付着した液体をぬぐい取りながら言った。

明らかに感情を害している様子である。

「坂本くん、なんてことをしてくれたんだ。謝罪しなさい!」

池沼は厳しい言い方ではあるものの、顔色は青ざめている様子である。

「……」

元気は我に返り事の重大さに気付くと、途端に、みるみると恐怖心が湧いてきて言葉が出ない。

「坂本くんっ」

池沼は、我が社のトップとしての権威を全く感じさせないほどの口調であり、“お願いします”といった感じである。

「いっ、いえっ、あっ、あのっ、クリーニング代はお支払いします。あっ、あと治療費のほうも、お金取って来ますので、しょっ、少々お待ち下さい」

元気は気が動転してしまい、自分でも何を言っているのかよく分からないでいる。

「大丈夫だから、お気遣いなく。坂本さんはここの会社の従業員ですか?」

「はっ、はい、そうです」

「……池沼さん」

「はい!」

池沼の返事は、従業員がワンマン社長にする時のような口調である。

我が社とPZグループの力関係が、如実に表されている場面である。





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