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スベっる心理学33〜システムの穴の穴編〜(長編小説)

「弟さんとは、歳は近いんですか?」

「弟はボクとは三つ歳が離れていて、弟は今年で二十五歳になります。桜井さんはいますか?」

「はい、妹が一人います。妹とは歳が九歳も離れていますので、感覚的には妹のような娘のような、どっちなんでしょうね」

「素敵な関係ですね。それでもってボクが桜井さんのお兄ちゃん」

「それじゃあ、私のお兄ちゃんってことで」

(違う、違う、違うって! なに余計なこと言ってるんだよ。お兄ちゃんじゃダメだって)

元気は、表情こそ変えずにボートを漕ぎ続けているが、額からは焦りの汗が流れている。

「ボクは兄貴っていうには落ち着きもありませんし、違うのでお願いします」

「たしかに、どちらかといえば物静かで落ち着いたイメージというより、腕白っていうほうがしっくりくるような気がします。それじゃあ弟ってことで」

「――おねえちゅあん、ボク、さんちゃいになったでちゅよ」

「息子か!」

詩織は笑顔でツッコミを入れ、なかなか良い雰囲気のようである。

(大丈夫だって。数分後には、弟だと思っていたら白馬に乗った王子様でした。めでたしめでたしだって)

元気は、自分を鼓舞するかのようにそう言い聞かせると、池の中央に向かってオールを漕いだ。

そして、目的地である池の中央付近に到着すると、突如、元気は手を止めてしまった。 

(詩織さん、悪く思わないで下さい。「坂本テクニカル・心理学メソッド」を、いまいちど体感して下さいませ)

すると元気は、オールを手で握ったまま仰向けに寝そべって目を閉じた。

「……え? どうしたんですか?……ちょっと坂本さん、大丈夫ですか? 坂本さん?」

突然の出来事に、詩織は何が起きたのかよく理解出来ていないというような、心配と不安が入り交じったような仕草、口調である。

詩織は前のめりになって元気の顔をのぞき込むが、彼はピクリとも動かない。

詩織は慌てた素振りで辺りを見渡したが、お昼時だからなのであろうか、遠くのほうに手漕ぎボートが一艘見えるだけで、大声を出しても届きそうにない。

小さく見える受付小屋のほうを見ても、誰もこちらには気がついていないようである。

「……ちょっと何で離れないの。え、うそ、固まってる。何で、どうして固まっているの」

いくら頑張ってみても、元気の握り拳はオールから離れない。

詩織は、引き続き解除を試みる。

(……よし、上手くいってるって。早くも使っちゃいました。その気持ちは恋ってことなの『吊り橋効果』。男女が二人でいる時、不安であるとか恐ろしいっていう興奮状態を一緒に体験すると、その興奮、ドキドキを恋愛感情だと勘違いしてしまうんだって。例えば、二人で一緒に冷蔵庫に入っていた肉をフライパンで焼いて食べた。食べ終わってから肉が少し臭わなかったかと、気になってパックに貼ってある消費期限を確認したら、日付けが二週間前になっていた。それからしばらくの間、二人は不安と恐怖で、ドキドキしながら腹痛などの症状が出ないことを必死に祈っている。そして、いつのまにかそのドキドキを恋のドキドキだと勘違いしてしまう。まさにイリュージョンだって)

元気は、薄目で詩織の表情を確認して成功を確信すると、再び目をつぶった。


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