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敬老の日にジミー・ペイジを思って泣いていたのは私です。

私の一族は身内がとても狭いです。父方母方の祖父母を見送った今、敬老の日はあまり意味がない祝日です。コロナで外に無暗に出ることができなかったので、ジミー・ペイジ、エッジ、ジャック・ホワイトが出演しているドキュメンタリー「It Might Get Loud」を再度鑑賞することにしました。

本編後編でジミーがThe Battle of Evermoreをマンドリンで弾くシーンがあるのですが、そのシーンで私は毎回号泣してしまうのですよ。音色が信じられない程美しいのは、言わずもがななんですが、曲を弾き終わったあとに、カメラに背を向けて立ち去るジミーがこんなことを言うのです。

「いつか、ギターを弾くには歳を取りすぎたという日が来る。でもその日は遠く、遠くにあると思い込んで、見ないふりをしている。」

ジミーはギターが下手だ、守銭奴だ、ツェッペリンにしがみついて過去に囚われていると言われる(散々だね...)ジミーだけど、音楽には常に真摯であった彼が、彼自身にもいつか音楽が彼の前をすり抜けていく日がくると思っていることのせつなさが胸に迫ってきて、私はいつも泣いてしまします。

私はプライベートではベースを弾いているので、ギターのことはあまりよくわかりません。でも、私にとって、ジミーはギターを弾いているというより、手のひらをギターの前でヒラヒラさせるだけで、夢のような音色を奏でしまう魔法使いのような存在のアーティストです。ライブ映像を見ていると、彼自身もギターを弾く度、音符が目の前ではじけていくのを見ているような表情をしている時がよくあります。そんなギタリストって彼以外に私は見たことがありません。その音色には、どんな時も、様々な犠牲を払ったとしても、音楽の質を追及した彼の魂や意思の強さ、ハードワークが現れているような気がして、それに私はずっと魅了されています。

ジミー自身も76歳となり、私が彼がギターを弾いている姿を目撃するチャンスはゼロに近いと思います。私達ファンはどんな形であれ、どんな音色であれ、その音を聞きたい、姿を見たいと思いますが、彼自身が納得するレベルに達しないかぎり、それが世に出てくることはないと思います。それは、それでもういいのです。ただ、長生きしてね。ジミーのいない世界なんて、色のない世界みたいになってしまうから。

私は、今日も彼が世界のどこかで、ギターを弾いてくれているかなぁと思うだけで胸が少し暖かくなります。その思いだけで、生きていけます。

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