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本の紹介:日本の森林政策の失態?「人と生態系のダイナミクス」

今回は本の紹介。「人と生態系のダイナミクス」というシリーズ本。
現在までに5巻が発行されている。

  1. 農地と草地

  2. 森林

  3. 都市生態系

  4. 海洋

  5. 河川(淡水系)

全部読んだのだけど、それぞれの自然サイトが密接に絡み合って面白い。
今回はその中でも、2巻「森林の歴史と未来」の第一章に書かれていたことを紹介。

日本の森林の課題を調べていくと、森林政策がイケてない。今の課題の主原因にある。という話を聞く。それがどういうことなのか?が分かる。

全世界の潮流(近代化、工業化、戦後の石油燃料への代替など)以上に、日本が国策として失態したのだなと分かるし、
一方で、当時の世論を直接肌で感じていない身からすると、課題を未来に先送りせざるを得なかったのかもと思う。。


興味深かったので、ちょっとシェアしたい。キーワードとしては

  • 建築用途と生活用途の森林資源の違い

  • 戦中に収奪を尽くした森林資源

  • 戦後のV字回復を支えた背景にある、国内と他国の森林破壊

  • ポピュリズムに負けた?一時的な森林政策、市場貿易

では、以下にて。


6世紀~:律令国家が生まれた日本

・6世紀ごろに中央集権の律令国家が生まれ、仏教も伝来。
・仏教と権力誇示のために、木造建築のブームが起こり、天然林がどんどん切り倒される。

※興味深いのは、仏教以前はジビエの肉を食べていた日本人も、肉食を食べなくなり、森にすむ動物が食用から害獣に代わっていったとの事。

※この時代から戦後まで、木材利用は1)支配層による建築材利用、2)庶民による農作業や日常生活利用の2つに分かれる。

江戸時代

時代は遡り江戸時代へ。

・戦国時代に各武将が建物を建てたりして、大きな木材の供給が先細る。
・さらに江戸初期に戦争が無くなり、各地の大名がお城建築のブームへ。お城を立てると、城下町、江戸への交通網の整備で建築用の需要は急騰する。他にも土木工事とか鉱山開発とか。
・森林資源が奪われると、里山は栄養が少なくても育つアカマツだらけになり、アカマツも取られて、草地になっていく。
・17世紀半ばになると、森林保全しないとヤバいよねとなり、植林などが本格化する。
・江戸時代は、大量伐採を禁じるためにノコギリの使用を禁じていたとか。

江戸時代から明治にかけての日本

・江戸時代の250年で、日本の人口は1500万人から3000万人に倍増しているが、鎖国体制(自給自足)だったからであり、貿易が開かれていたら、もっと人口は増えていた可能性がある。

・明治になり貿易自由化。北海道で広大な農地開拓(水田、牧畜、果樹)を行い、貿易で国内では得られなかった肥料(有機肥料)を導入して農業生産が爆増する。(1940年には7000万人まで増加する)
明治維新を経て、富国強兵の元、先進国に追いつくための産業の発展、社会インフラの整備に伴い、木材の内需は急拡大する。
電柱もスギだし、鉄道線路もクリ、ヒノキなど。

・これだけの大量伐採を可能にしたのは、技術進歩がある。江戸時代に禁止されていたノコギリが利用可能になったり。

※当時もこのまま森林を切り倒すのはヤバいので、森林法を制定するも、国の経済を延ばすことを優先して改定されてしまう。。

明治末期から太平洋戦争へ

・明治の末期になると国内に良質な大木が無くなり、外国材の輸入が加速する。(フィリピン、インドネシアなどの南洋材、北米の米材)
・第一次大戦後の空前の好景気で木材需要も伸び、日露戦争で勝ち取った樺太から大量の木材を国内、植民地に輸送する

・ここの肝が軍部の強まり。1930年より前は木材利用のわずかだった軍事利用が太平洋戦争が始まる頃には4割を超える。
・さらに国際社会から孤立する日本は、経済封鎖も相まって国産材に頼らざるを得ない。

・拍車をかけるように、1941年に石油の対日輸出の禁止。石油がほぼない日本はエネルギーを薪炭に頼らざるを得ない。

当時の状況を思い浮かべるとどれだけ大変だったのだろう。。
全国民が戦わされる状況で、軍事用のエネルギーはない。経済を動かすエネルギーはない。一般家庭の調理燃料もない。。
この状況で国内の森林を後先考えずに切り倒したことを一方的に非難する気にはなれない。。

第二次大戦後の大量需要

・第二次大戦で敗戦した日本。国内の主要都市は空襲で建物はない。戦中の伐採で森林資源も枯渇。
戦後の復興で、公共建築、工場の建築を優先するが、一般市民は家がない。。
家を建てるための木材が不足。。

・この木材需要にこたえるために、各地の山々を造林していく。当たり前だが、苗木を植えてから建築材として使えるまでには40-50年はかかる。。1945年に植えたら、1985年以降になる。

他国と異なる日本の特徴は以下だろうか。

• 建築材の多くは木造建築だったこと
• 戦争で、国内にも攻め込まれて空襲で住宅が破壊されていること
• 戦後のスクラップアンドビルドの新築偏重で、30-40年での建替え

・当然、造林してもすぐには使えないので、

造林が進む!

1)国内に残っていた東北や北海道の貴重な天然林、江戸時代以降に温存されていた高齢林が伐採され、そこに針葉樹の苗を植えて植林するようになる。

この大伐採を支えたのは、戦後の輸送手段、林道整備、チェンソーの普及などの技術進歩。

日本の有志以来、最も早く20-30年で里山の大部分と奥地の天然林が針葉樹人工林(スギやヒノキ)に置き換わった。
→木材需要としては成立するかもだが、自然環境、生物多様性や防災の観点からは大きな痛手

2)外国からの輸入の再開
当然、国内だけでは足りないので、戦中に封鎖されていた輸入が再開する。
日本の丸太需要は凄まじく、1979年の丸太消費量は、世界全体の貿易量の48%にも上ったそう。

インドネシアやフィリピンの森林を争奪した結果、両国の森林面積が激減する。対日輸出規制まで設けられた。

安価で良質な輸入材への依存

・さて、当初は国産材の不足を補うための輸入材だったのが、安価で高品質のため、国産材にとって代わっていく。1970年に国産材の自給率は5割を切る。最盛期には9000万m3(1996年)を輸入していた。
・結局、戦後に天然林などを皆伐して造林した針葉樹は、1990年に収穫適齢期を迎えた頃には不必要に。。

※当時造林した森林で、まだ切られていない樹木も多いそう。
現在でも5000万m3近くは輸入されている。
(国産材の供給は2000年頃に最も減少して1700万m3ほどに減少したが、そこから国策で増やしていて、今は3000万m3ほどに増加)

里山の放置プレー

上記の建築用途とは別に、戦後、里山も衰退していく。
農村の農業・生活で利用、管理されていた里山。以下の変化で里山の利用価値が下がり、放置されていく。

・木質バイオマスから液体燃料(石油)へのエネルギー変化
1962年に原油の輸入が自由化されると加速。家庭用の燃料は薪炭から石油へ。
・化学肥料の発展で、有機肥料(有機物)の需要は減る。農労働も家畜から農機や自動車へ。
・産業変化で、一次産業(農村)から製造業・サービス業、都市化で農村の労働力は減り、茅葺き民家なども維持できなくなる。

結果、広大な茅場や里山が放置される。
アクセスのよい場所は人工林へ転換され、都市近郊の里山は、住宅地開発、工場立地、ゴルフ場などに変わっていく。。

後からは何とでも言える。。

これを読むと、戦後に「もう少し未来を見据えた対策してくれていたら」と思わざるを得ないけど、一方で、
その時代に生きていない私には、当時の切迫感は分かりません。。

空襲で住宅が無くなった中で、木材は工場とか公共施設の再建に使われて、皆、家を建てたいのに一般住宅への木材がない。
今植えたって、10年で解決するわけでもないのに、民衆の不満をなだめるパフォーマンスもあったのかな。。

あとは、国産材が使えるようになった1990年以降も、こんなに輸入するインセンティブ構造は政策なんでしょうね。。

当時、木材が無い中で、国内の天然林の伐採、輸入以外に、代替で需要を賄うことはできなかったのかな。。
その時代を生きていない私には分かりません。。

今回の記事は、過去を批判する意図は全くありません。
後から批判することはいくらでもできますが、歴史を知るのは批判のためではなく、今後の施策のためだなと思います。。

シリーズ「人と生態系のダイナミクス」

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Jun Ito
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