イノベーションは”余白”作りから~過剰努力の罠に陥らないために
※誤って記事が削除されたため、2020年9月10日の記事を再掲致します。
新卒で外資系コンサルティング会社に入った時のこと。
周りは優秀な人ばかりで圧倒された。
先輩や上司は言わずもがな、同期も優秀で仕事できる人が多く、
俺はこの会社で生き残れるのか??と悩んだものだ。
周りに追いつくには、皆よりも頑張るしかない!
最初のうちは、とにかく、がむしゃらに努力する事で実力差をカバーしようとしていた。
新卒1-2年目までは、頑張っている姿だけで、結果が伴わなくとも、評価してもらえることも多かった。
しかし、3年目にもなれば、下も入ってくる。当然、努力したって結果が伴っていなければ、評価はされない。
特に知的労働の場合、単純な頑張りがアウトプットの質には繋がらない。
創造的なアウトプットは単純な努力の量に比例しない。
何も考えずにがむしゃらに頑張っただけで、アウトプットの質が高まるほど甘くはない。
同じ努力でも、優先度の付け方、方向性、戦略や計画で圧倒的な差がつく。
成功に努力は必要不可欠なのだが・・・
世界を変える発明やイノベーション、偉業を達成した人は、例外なく常人では考えられない努力を積み重ねている。
世界を変える!まで大げさではなくとも、長い時間、高い成果を継続して出し続けている人々は、努力を怠っていない。
ベストセラーになった『GRIT やり抜く力』でも、
偉業とは特別な事ではなく泥臭い当たり前のことを継続する事と述べている。
全力で走っている時、『この努力はいつか必ず花開く!』と言い聞かせたくなる場面がある。
『これだけ頑張ったんだから、報われる!』と信じて努力を続ける。
僕自身も、この言葉に何度も救われてきた。
辛い時こそ、長年の努力や経験が自信の支えになる。
しかし、何でもかんでも努力すれば良いわけではない。
がむしゃらに頑張ってさえいれば、それだけで、いつか努力が報われるわけでもない。
『信じて頑張ってきたのに、結果が出なかった・・』
頑張って努力した結果、思い通りの結果にならずに落胆した経験を持つ人は少なくないだろう。
過剰努力の罠
『ステレオタイプの科学』という本の中で、6章に『過剰努力の悲劇』が紹介されている。
周囲からの期待やプレッシャーが強い人ほど、過剰努力の罠にかかるリスクが高いという。
長いエピソードなので要点を纏めた。
※もっと具体的な内容を知りたい方は、ぜひ本書で確認してみてください。
人一倍努力しているのに結果が伴わない。実を結ばないからより一層、孤独に努力を続ける。次第に挫折感を味わう。挫折感から余計に孤独になり内側にふさぎ込んでしまう。
この一連の現象を本の中で『過剰(かつ単独)努力症候群』と名付けている。
承認欲求を満たすための努力
他人に魅せるため、自分の承認欲求を満たす事が目的になってしまったものもある。
冒頭の新入社員時代の例は、上司や同僚に頑張っている姿を見せて何とか評価を繋ぎとめていた例ともいえる。
ハリウッド映画、スポ根の少年漫画、プロジェクトXなど、人が頑張っている姿は感動を生む。
特に、日本には人一倍の努力や頑張り、根性を美徳とする風潮があるようだ。
その害悪が、行き過ぎた体育会系部活の指導や長時間残業を常態化させるブラック企業にあるのかもしれない。
本来、努力とは他人に認められるためにするのではない。
望む結果を得るために、必要な努力をする。
努力は手段である。
『精いっぱい取り組んだので、後は天命を待つ』という考え方はあれど、
『結果が出なくても努力したからOK!』では次に進まない。
そう思いたくなる時もあるが、踏みとどまり、
なぜ結果が出なかったのか?を振り返り、次に活かす道を模索する。
結果を出す事が目的ならば、”努力”という行為自体が目的化する事は避けたい。
努力を妄信する事も問題だが、逆に努力は格好悪いという風潮もある。
根性論へのカウンターカルチャーなのか、
『努力をする事は格好悪い』『泥臭い努力を他人に見せるのは格好悪い』と構える人もいる。
努力などしなくても、そこそこの結果を出す自分ってクールで格好いい。という見せ方なのか、
これも一種の承認欲求と言えるだろう。
努力は自分が出したい結果のためにする事だ。
他人のためにする事でも、他人に格好つけたいわけでもない。
努力を自己目的化して独り歩きするのは避けたい。。
内省する時間を作る
”努力”から一歩引いて、自然体で賢く、努力するにはどうしたらよいのだろうか?
惰性の努力を断ち切るにはどうしたらよいのだろうか?
一つは、生活の中に意図的に、振り返り(内省)の時間を組み込む事だろう。
ウガンダで起業した当初、過剰努力の罠にはまった。。
何もかもが初めてだったのに、共同経営者もいなかったので、全て自分でやるしかなかった。
バックオフィス業務だけでも、財務、税務、法務、人事、行政手続きなど様々なタスクがあり、経験したことないものばかり
専門家を雇おうとしてもウガンダで全面的に任せられる専門家は中々見つからなかった。
日々、目の前の作業に追われてばかり。
徐々に頭を使う事が減っていく。
足りない時間を捻出して、何とか作業を終わらせることが常態化していった。
● 1か月頑張って準備した事が、1時間の打ち合わせで無意味になってしまったり、
● 数か月かけて準備した事が、市場のちょっとした変化で役に立たなくなったり。
努力の方向性を間違えている典型だ。
多忙な毎日の中で、当初決めた行動計画を惰性で続け、努力が水の泡になる。
こういう無駄が目に付くようになっていった。
頑張った気になっているだけじゃないか。。
惰性に流されないために何ができるのだろうか?
ちゃんと立ち止まろう。
立ち止まる余裕を持とう。
そこで、生活の中に、意図的に内省する時間を埋め込んでいった。
・週に一回、2時間。
・月に一回、3時間。
・半年に一回、4時間×2日。
・年末に、4時間×4日。
様々な分野の活動に、内省を促す問いを投げかけていく。
・この活動は当初の目的に繋がっているのか?
・今の活動よりもベターな手段は無いのか?
・当初の目標を見直す必要はないのか?
・そもそも、方向性はこのままでいいのか?
・前提条件は変わっていないのか?
どんなに忙しくても、内省の時間は確保すると決めた。
逆に忙しい時こそ、内省の時間が削られないよう注意を図った。
内省が習慣化されると、惰性で続けていた活動が是正され、より賢く努力できるようになった。
ずっと早いタイミングで方向転換できるようになっていった。
真の空白を作る
内省が習慣になると、次のステップに進める。
最近、友人から”Niksen”という言葉を教えてもらった。
Niksenとは“何もしない”を意味するオランダ語だそうだ。
仕事のストレス・燃え尽き症候群などに対処する方法として知られているとの事。
こちらの記事に詳しいので、興味ある方は読んでみてほしい。
Niksenはストレスマネジメントに限らず、創造性を高める事でも知られている。
目の前の問題を頭から引き離すことで、モノゴトを俯瞰できるようになる。
何もしない時間は不安
しかし、『何もしない時間なんて不安だよ。私は何かしていないと無理!』と思っている人は少なくないだろう。
がむしゃらに努力をしている努力家ほど、退屈な時間の扱いが上手くないらしい。
何もしない時間が続くと不安に苛まれる。
『私が遊んでいる間にも他の人は努力しているかもしれない』と不安になる。
不安を解消するために、惰性で効果の薄い努力を続ける。
頭ではNiksenの重要性が分かっていても、”何もしない”状態は不安でソワソワしてしまう。
僕自身、『何もしない時間』を作っても、不安で耐えきれなくなり、惰性の活動で穴埋めする事が多かった。
しかし、上記の内省が習慣化すると、徐々に不安が無くなる。
心に余裕が出てくる。
一歩引いて冷静に俯瞰できるようになる。
内省が立ち止まる事の効力を教えてくれた。
”空白”の重要性が体感できるようになると、自然と何もしない時間を持つようになり、楽しめるようになった。
堂々と余白の時間を楽しもう!
過剰努力の罠に陥らないために、
せっかくの努力を最大限結果に結びつけるために、
日常生活の仕組みの中に内省を取り入れ、習慣化し、
その上で『目的のない時間』を楽しむ余白を持つ事が
自然体で創造性の高いアウトプットを出し続ける事に繋がるのだと思う。
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