久しぶりにこういうサイトに登録してみた。 昔はBBSとかいろいろついてるサイトに登録してぶつぶついろんなことを書き連ねたりもしてた。 しかし、最近の事とかを書く勇気も、時間も、元気もなくて、文章なんて仕事でしか書いてなかったから、言葉も言い回しも忘れてしまった。 私のこのうわごとにも近いことを、メモがてら書いていく。 毎日、家から職場に向かう。職場で仕事をして、家に帰る。 みんなは、その合間にどこか旅行に行ったり、余暇を過ごしたりしている。でも、みんながみんなそうじゃ
さついって? 殺意ですよ。 荒んでくる気持ちを自分のせいにするか他人のせいにするかで刃の向く先が変わってくる。 この感情をどうしようか考えた時に、もう一つピアスでも開けようか、腕の皮でも剥がそうかと検討している。 ああ、もう、何もかも要らないから静かにして欲しい
自分が許可する人以外に触られる事に嫌悪する。それがなぜなのか自分ではっきりわかっている。 ただ、その場にいるだけなのに、殴られたり蹴られたりつねられたり罵られたり、無理やりねじ伏せられて陵辱されるあの感じが、「他人と触れ合うことに対する恐怖」を植え付けたからだ。 それでも、むやみやたらに愛されようとして誰にでも許していた時期があった。 そうすることで、100%私を許し、害さず、愛してくれると思いたかった。 それでも、誰も私を心から傷つけず、許し、愛してくれる人はいなかった
早い段階で、子どもを産まない選択をした。 物心ついた時点でだ。 私の遺伝子を後世に伝えるなんて、世界が滅ぶとしてもごめんだと思ったから。 今の仕事柄、人生の決断として子どもを育てて行こうと決意した人を見る。 私にはその重いものを支える力は無い。 でも、これから先一生ひとりで生きていくという事が約束された未来に意味など見えない。 目の前の親子は私を置いて次のステップに向かう。 それを追う権利もないし。 ひとりでいたっていいじゃないか。 私はこの上なく孤独なだけで、自分
夏の月が電線に座ってこちらを見ていた。 なんかちょこんと座ってるように見える。 昔から月に行きたいと思いながら過ごしていた。 昼間の怒号や暴力から離れた夜の底で、 窓から差す月明かりを眺めていた。 夏の夜に、浅はかだった私は 手首に剃刀を突き立てた事があった。 そんな事で死ぬはずもないのに。 床に溜まっていく液体を見ながら、 明日になったら、全部夢なんじゃないかとか、 もしかしてもう目が覚めないんじゃないかとか、 期待しながら月を眺めていた。 残念ながら、朝は来て 残
眠れない、んだと言ってる。 でも、それって違って 起きていたくないんだと思う。 毎日の現実を見たくないだけで、 ただただ目を閉じていたいだけで、 それは自分がどこにいるかわからないだけで、 きっと『ここにいる』と教えてもらえたら ちゃんと目を開いて歩ける。 そのためには『ここにいる』と、 教えてくれる誰かが必要。 大丈夫だと言ってくれる誰かが、必要。 #眠れない夜に
話がしたいのですよ。 話が通じる人と コンビニのイートインでおにぎりを食べて 缶コーヒー飲んで夕飯が終わるような 家に帰って何の気配もない部屋で 息だけをしながら目を瞑るだけの日々を過ごして そんなこれからを送るような不安が嫌だ でも、今現在の 毎日毎日グダをまかれながら 行きたくもない仕事に行って金だけ取られて 汚い家に帰って臭い布団に寝かされて 疲れも取れない朝を迎えるのも嫌だ 普通に生きている現在も 普通に生きなきゃならない未来も見えない 普通って何なんだろうか
子どもは絶対に親の味方であるとあの人は言う。 しかし私も「子ども」だったので言えるが、 自分の力で生きれるようになったら、 捨てられるのだよ。 一方的に親の意見ばかりで、 足元の小石一つ自力で取り除かずに、 何も考えさせないで育ててると、 役にも立たないで貴方を搾取していくのだよ。 貴方が良かれと思って 一心不乱に推し進めると それを呪いながら生きながらえて 貴方を傷つけていくのだよ 当たり前に愛されて育っていくのは 当たり前に愛されないで生きていた我々には 恐ろしく
実は本当はもう死んでいるのに、地獄に囚われているのではないか。 現実にいるのを諦めきれなくて、夢を見ているのではないか。 今見ている世界は誇大妄想で、あの人もあの人も居ないのではないか。 自分の妄想なら、どうして都合の良い方向にいかないのか。 休みたい。無期限で休みたい。
孤独と共に生きねばならない。 そこに存在していることを見ないようにしながら 誰にも必要とされていないと、 誰にも知られていないと思いながら、 他人から見える醜い自分を 考えないように考えないように あなたが私の手を必要としなくなる日まで 必要無くなったら、さようなら。 あなたの知らない何処かへ行こう。 そうすれば、何も、怖いことなど 友だちに落ち着いたあの人とのポジションだが、 あくまで子どものためだと言う。 じゃあ、子どもの手が離れたら? 要らないんだろう。 やっぱり
好きな人にフラれた。告白もしてないのにフラれた。 たぶんあっちが自分の中にある気持ちに気づいたんだろうと思う。 それが嫌悪かわからないけど。 「気持ちが強くなったら話しかける」とかカッコいい事言ってるけど、 そんな日なんてたぶん来ない。 だってもう10年近く乗り越えられてないことを、 なんで今、私と別離して克服できると思うのか。 シンプルに自分が傷ついた。 「他人」だとか「子どもいない」とか。 それを口にされた瞬間に私は「この人は『人間』になったな」と思った。 家族みたい
そもそも、私は人の話を聞くのに向いてない。 相手に没入してしまって、相手と同じ場所に立ってしまう。 それは専門的な状況としては「代理受傷」と言い、バーンアウトの原因となるし、それらを避けるために一線を引いていないといけないのだ。 それは、相手に対しても大切なことで、相手と自分の境界を理解させることで、自分自身でも線を引くことができるようになる。 それが相手にとって学びの場となるので、大切なことである。 でも、私にはできない。できていない。 独りよがりにやみくもになってし
こないだ下向いて歩いてたら見つけた。 気持ちってそこらへんに落ちてんのね。 拾って、渡せたらいいのに。私の本当を伝えたら、気味悪がられるし嫌われてしまう。 遺伝子が同じとか、染色体が違うとかで、家族になれるのはうらやましい。 何言っても、そうじゃ無い私は他人だ。 ハリネズミのジレンマ。 そばにいたいのに傷つけてしまったり傷ついたりしてしまう。 怖い。でも、好きだ。 行かないでほしい。 そばにいてほしい。 声を聞かせてほしい。 でも、言えない。 一体どうしたものかと、考え
不安になると電話がくる。 内容を一生懸命話しているその声は、何を伝えたいのか不明瞭で、いよいよ気がおかしくなりつつあるのではないかと不安になる。 智恵子抄を思い出しながら、うつむいている彼女の表情を覗き見る。 目が合わないのは春だからだと、自分に言い聞かせながら、なんの勉強も一個人の目の前には無意味なのだと思い知りながら、ぼんやりと息をする。 そんな無意味さなんて、自分で充分知っている。 深淵にいるものが水面から声を聞いても、浮き上がることは難しい。 水面にいる側が、
私は点である。 周りはみんな線である。私は多分、これから先も点のままで生きていく。 みんなは線を限りなく広げて行くだろう。 法的にも心情的にも、の話。 私は虐待を受けて育った。 (過去の話をすると一般的にはそういうラベリングになるらしい。) そのせいなのか、人を好きになるということが少ないし、何よりも人間が気持ち悪いと思う日が定期的にある。 しかし、好きになる人間もいる。 自分でも意味わからない。 なんだか、多様性とか言われて、いろんな人が細分化されて、 いろんなラベル
叶わない事ばっかり考えてるくらいなら、 もうどっか行こうかとも思う。 友達にもなれないし、家族にもなれないし、 どうせ最終的に頼られないで、遠くに行かれるなら、 どうせ金目当てでしかない血縁から逃げる人生なんだから、今から自分がどこかに行くのは逃げだろうか。 それくらい無駄に傷ついてる。 仕事じゃねぇのよ。全部気持ち。 一方的に好いていても気味悪いのも自覚しているが、 他の奴らと一緒にされて、そのうち切り捨てられんだろうと思うと、これから先もひっくるめて想っている自分の思い