〈繰り返し〉について考えたこと
反復と連続性、繰り返すものが
いつも気になっている。
同じ形で繰り返される模様に、
何かしら、心が落ち着く。
〈図〉と〈地〉が反転したり、
平面がいくつかの同じ形で埋め尽くされるので、
〈埋め尽くし〉と呼んでいる。
それぞれの形が〈図〉であり〈地〉であるときは
背景が失われている時だ。
あるいは背景が〈地〉であり、〈図〉であるときだ。
その時、〈図〉と〈地〉の境界線は共有されて、
領土を分かち合っている。
この間小川洋子さんと平松洋子さんの
『洋子さんの本棚』という本の中にある
「レースのあるところとないところには、同等の価値がある。」という
平松さんの言葉に心ひかれた。
レース編みは、糸で〈すき間〉を編んでいるんだなと、
図地反転模様にも共通する考えが伝わってくる。
たとえば、2つの分け合う形、すき間に見いだされる形が、
少しの線のずれで次第に変わっていく。
その、少しのずれが形の生まれる場所である。
境界線が隔てる2つの(あるいはいくつもの)領域。
形はいつも不安定で、せめぎあっている。
その境界線をはずし、移動させることで、形は変貌する。
そして、繰り返されて、埋め尽くされる。
繰り返しの永遠性ということから考えると、
同じ模様に対する気持ちは、
子供が寝る前に同じ本を読んでもらって
安心している感じと
よく似ている。
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銀座には、画廊が多いです。
赤瀬川原平さんの個展、トマソン黙示録が、銀座の佐谷画廊でありました。たぶん、銀座には、その時一度っきり行っただけなんだけど、何回も銀座に言っている感じがするのは、何度も何度もその時のことを繰り返しているからだと、何か大切なものの糸口をつかんだ気になっています。
〈繰り返す〉ことは、エネルギーの源泉。(良くも悪くも)。
正負のメカニズムが同居しています。
〈繰り返す〉こと、この身体の不思議な領域の入り口にいつも立っているような感じがしています。
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