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わたしたちのオーデン
『わたしたちのオーデン』というのは、『オーデン詩集』(深瀬基寛訳)の最後にある解説のタイトルです。いいだももさんが書いています。
以前、『見るまえに跳べ』について思い出したことを書いてみたので、本の整理をしている時に目に入ってきた、この『オーデン詩集』を読むことにしました。懐かしさを感じつつも、何十年も(なんと!)閉じたままで、積読状態にしてにしておいたのは、本に申し訳ないと思っています。でも、そういう本がいっぱいあります。いつかのための本。いつかというぼんやりした未来を背負った本があちらこちらに、家にはあります。いつかが来てしまったら、もういつかではなくなる、いつかのための本。
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『見るまえに跳べ』は大江健三郎さんの小説ですが、このタイトルは『オーデンの詩に由来しています。高校生の時に、生物の先生から大江健三郎さんの講演に行った話を聞いたことが、大江作品を読むきっかけになりました。読書感想文も、『ブラジル風のポルトガル語』だったり、『遅れてきた青年』も書いたことがあったように思います。『万延元年のフットボール』には、2時間ごとにお腹が空いて食事をするジンという人物が描かれていて、よく食べる高校生の私を、兄は、ジンみたいだと言っていました。大江さんというと、このオーデンとか、ブレイクとか、ノーマン・メーラーとか(だったかな?)がよく出てくるので、作品理解のために、まず買ったのが『オーデン詩集』なのです。しかし、積んでおくにもあまりにも寝かせすぎではないか、やっと、積読の山を崩す時、あるいは積読の山を登頂する時が来たという感じです。遅すぎますが。作家の大江さんは、オーデンの詩を栄養源としていたと訳者の深瀬さん。オーデンという栄養素があちこちに散りばめられている。オーデンの詩を読んでいると、「志那のうえに夜が落ちる」の中に「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」という、そのまま、大江本のタイトルになっている言葉を見つけた。
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解説 「わたしたちのオーデン」 いいだもも
せりか書房
「わたしの『オーデン詩集』よ、もう起きる時間です」と、眠っているオーデンの詩を解凍する気分になっている。
*
『オーデン詩集』の中でいいなと思った詩はこれです。
ぼくらの世界は昏睡して横たわる
夜の下で防備もなく。しかし
ここかしこ、点々と散らされた
光のアイロニックな点が
正しき人びとがその警告をかわすごとくにまたたく。
彼らと同じく、エロスと灰とから成り
おなじ拒否と絶望との包囲下にありながら
肯定の炎を私は示したいものだ。
≪一九三九年九月一日≫
〈ぼくらの世界は昏睡して横たわる〉のフレーズが、何と言っても、残響をやめない。そのうえ、〈ぼくら〉だから、愛情に満ちている。
オーデンが好きだという友人のSさんによると、9,11以来、困ったときに人々がこの詩に目を向けることに、オーデンはぞっとしただろうし、最も嫌っただろうと言う。
そんな、ぞっとしただなんて。
オーデンに何があったんだと、それを聞いたときには思っていた。
≪一九三九年九月一日≫は、オーデン自身が削除し、詩集に収録されなかった詩だということです。気に入ってはいなかったその詩のことについて議論されることがあるらしい。考えるとこの『オーデン詩集』の中には入っていない。この詩はいいだももさんの解説の中にある。
だから、深瀬基寛訳の『オーデン詩集』には、≪一九三九年九月一日≫が見つからないんだ。
≪一九三九年九月一日≫が見つからない。
*
有名とされる「われわれは互いに愛しあわなければならない。」(≪一九三九年九月一日≫には、そういうフレーズがあるらしい。)の箇所は上記の詩の中にはない。この『オーデン詩集』は、一九七一年の三月に出版されている。いいだももさんは、解説の中で、オーデンが詩句そのものを自ら否認して削除してしまったのは最近だ(最近だった1971年という年)と書いている。
まず、『鯨の外に』を書いたE.P.トムスンについての記述がある。
「『そこで、ただただ嫌悪の衝動からもう一度私は自分だけの世界に引退した。』ワーズワースのこの地点にまで、オーデンは≪一九三九年九月一日≫で引き下がったのである。ワーズワース同様それは不名誉ではない。一九三九年のヨーロッパの破局は全面的なもので、安っぽい知性の塗り薬くらいでは弥縫できるものではなかったのだ。まちがいないのは『われわれは互いに愛しあわなければならない。さもなければ死んでしまう』ということだけかもしれない。しかし、それが真理だとしても、この句は問題を述べただけのことであって、問題そのものーいかにしてこの愛を人間関係に表現し、歴史のうちに具現化すべきかには、取り組んでいない」(『鯨の外に』)
太字は筆者
そして、いいだももさんはこう書いている。
アメリカ時代のオーデンの歴史からの引き下がりは、私が思うに、トムスンが指摘している地点よりもさらにはるか彼方にあります。なぜなら、オーデンは、最近、その有名な『我々は互いに愛しあわなければならない、さもなければ死んでしまう。』という詩句そのものを自ら否認して、削除してしまったからです。その詩句を含む詩そのものまで、最新篇の≪オーデン詩集≫から省いてしまったからです。「なぜ、削除したのか」というインタヴュアーの質問に対して、オーデンは答えています。どのみちわれわれは死んでしまうのだから、と。治癒者healer自身はついに治癒されることがなかったのではありますまいか。歴史の弁証法とは教育者自身が教育され、治癒者自身が治癒されるような、根源的参加のドラマ性を備えていなければなりますまい。
太字は筆者
私は、最初の一行目が好きです。
ぼくらの世界だから、もうこの一行目から愛情に満ちている。
そんなに、ぞっとしなくてもよかったと思うけれど、どうなんだろう。
昏睡しているって、誰かが言わないと、昏睡しているかどうかもわからない。
しかし、いいだももさんが言っている〈最近〉から、もう、50年の経ってしまった今の世界も昏睡したまま、実は何も変わっていない。
いいだももさんは、治癒者healerとしてのオーデン自身はついに治癒されることがなかったのではないか、と書かれているけれど、人々が、この詩を思い出す限りは、オーデン自身は時間を超えたhealerに違いないと思う。
だから、この解説の「わたしたちのオーデン」というタイトルも愛情に満ちていて、気持ちが温かくなりますといいだももさんに問いかけてみる。
また、「オーデン点描・あとがき」で、深瀬基寛さんは、オーデンという一つの贈り物を日本の詩壇に届けてみたいという気持ちを終りに綴っておられる。
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