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「日光写真」は消えていく絵
もう何十年も前の、家の座敷の木の雨戸には「ふし」があって、座敷は、針穴のカメラと同じ構造になっていました。お天気の良い日などには、障子のスクリーンに、家の前の道路の様子が写し出される箇所がいくつもありました。外を行くさかさまになった人の映像を追うこともあって、暗い座敷の中は楽しい空間でした。今は「ふし」だらけの木製の雨戸は更新されたので、家の中の小さな映画館は、記憶の中にしまってあります。
針穴写真と同じくらい懐かしいのは、日光写真です。冬の日の物干し台を思い出します。
藤田一咲さんの『少年カメラクラブの時間』の第一章は、日光写真から始まっています。
・・わざわざ手間をかけて消えていく絵を焼いて楽しむ。それが楽しめるのは少年、あるいは少年の心をもつものだけだ。それが、ただの〈遊び〉だとしても。もちろん、ここに写真の精神、楽しみの原点があるのだ。日光写真から始めよう!
と書かれています。
そう思うと、〈日光写真〉は消えていく絵なんですね。だから、印画紙の写真は残っていなくて、残っているのは、冬の物干し台の陽の感触と空気感だけなんだと。光の版画の日光写真たちは、時間が経つと真っ黒くなって画像が消えてしまう。版画の楽しみは印刷の具合を見る最初の瞬間にあるので、消えてしまう写真でも、ガラスの蓋を開けるたびに心が躍ったんだと思います。
*正面の白馬の剣士の部分に、ガラスがはめこんであります。その下に、印画紙と白黒の種紙とセットして太陽光で露光します。紙の日光カメラ(箱の中に印画紙が入っています。)も種紙も近所のタバコ屋さんのおばさんからもらったもので、大切にしてしています。
今は、シルクスクリーンで作品の制作をする日々ですが、針穴写真も日光写真もシルクスクリーンも、太陽の光なしには作品ができません。つい最近、その共通点に気がつきました。光はそれぞれの作品にとって必要不可欠なもの。そして日光写真は創作の原点だったということ。子供の時の冬の遊びが別の楽しみを、いっぱい、連れてきたんだなと思っています。
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