言語は、はたして壁となるのか?/河和田微住
文 : 蔡 奕屏(yiiping)
攝影:Jerry Wang
翻訳:伊藤ゆか
私の日本語は、とてもじゃないが流暢と言えるレベルではないのだけれど、微住期間、思いがけずたくさんの翻訳係のミッションが私に降ってきた。
日本語レベルの問題もあるが、時おり別の葛藤が生まれてくる。どうにも、どうやって翻訳すべきか躊躇っていて「こういう話題は話すとバツが悪くなるものだろうか」とか「ここは端折ってしまっても差し障りないのではないだろうか」とか考えてしまう。時に言葉の外にあるもの、それから日台両者の仕事文化の違いが、相互理解のための擦り合わせを必要とした。言語翻訳者は、このような文化の差異の背景までも説明しなければならない。
要するに、私は微住前まで翻訳というものは単純な言語の変換作業だと思っていたのだ。けれど、骨身に沁みる体験の後にやっと、翻訳はそんなに簡単なものではないと理解した。
今後やって来る微住者たちが日本語と福井弁を操れるのかは分からないが、この微住の仲間たちと過ごす中で、私は言語能力よりももっと重要なものを見つけた(これから移住に来る人たちの、心の準備のためのアドバイスになると思う)。
今回の微住の活動チームの中で、デザイン事務所「TSUGI」と産地情報webメディア「しゃかいか」の合同デザインチームは、作業の時いつも「翻訳機」や簡単な英語を使ってコミュニケーションをとっていた。科学の恩恵かな、翻訳機の翻訳の質はすでに人々を感嘆させるレベルに達している(文章が長くなければだけれど笑)。簡単な会話は基本的に問題が起きなかった(だから日本語が話せない微住者もあまり心配しなくて大丈夫!)。
印象に残ったのは、日本人デザイナー千夏と地元・河和田のナベさんが微住メンバーを紹介した時に、「まだ来て数日なのに、みなさん日本語を覚えるのがとても早い!」「みんな凄い!」と、褒めてくれたことだ。言語の疎通能力は重要ではない。しかし日本語に対し学習・吸収の意欲を持ち続けることは重要だ。そして、皆んなと積極的に交流しあい、それを面白がることが心の錠前を開く重要な鍵になるのかもしれない。