工房を開き、新しいものを創り出していく。谷口眼鏡、転換の道/河和田微住
文・攝影:Jerry Wang
翻訳:伊藤ゆか
福井微住に応募したキッカケは、自分が今かけているハンドメイドの眼鏡だった。近年、日本のハンドメイド眼鏡が台湾で人気を集めており、その中でも「金子眼鏡」が最も有名だ。96%のハンドメイド眼鏡が福井の鯖江市で作られていると、微住に来て私は初めて知った。
最初に福井について知ったのは「策展的時代(キュレーションの時代)」という台湾の人気書籍からだった。その本の中で鯖江市の田中眼鏡が例として触れられていた。眼鏡屋の田中店主は消費者の日常での使い方や顔の形を観察した後、千本を超える眼鏡の中から最もふさわしい一本を見つけ出す。情報が溢れかえる現代の日常において、どんなにか人の心に迫るサービスであろうか。
冬の豪雪、一年に一度しか収穫ができない厳しい農業環境───福井人はそんな厳しい環境の中で自ら生計を立てる方法を、早い段階で見つけだしのだった。鯖江は、京都から北へ向かう街道において最初に突き当たる平野部として、都会の技術を吸収し、瞬く間に大都市に眼鏡を供給する産地となった。しかしながら生産の機械化に挑戦したことで、福井の眼鏡は台湾のOEM産業のように「ブランドの転換」という課題に直面してしまう。
世界の眼鏡三大産地といえば、ブランドで名をはせるイタリア、低価格生産の中国、そして快適な掛け心地で顔にフィットする日本だ。ブランドイメージや価格の安さは全て外面的な評価の基準だが、眼鏡というものは須らく、直接顔に掛けてみて初めてその違いが分かるものだ。
眼鏡の生産は、磨きが何よりも時間を要する工程だ。最も粗い型から最も細かい仕上げ磨きまで、少なくとも八つの工程を経る。日本の工芸はとても職人気質が強く、道具は100年使ってもなお使え、手厚く扱われる。しかし、「奇怪しなものの探求」と「体験」がもてはやされるコミュニティ時代において、「速い」「遅い」の間の矛盾はずっと議論されている。
眼鏡のイノベーションは、手工芸における困難に向き合っている。医療関係の法規制が足枷となり、伝統的な枠組みから出られないのだ。
谷口眼鏡の谷口社長は、イノベーションの先鋒とされる人物だ。彼は最初に鯖江のデザイン事務所「TSUGI」と合同でRENEWというイベントを立ち上げた。人脈を使って地元の工房に呼びかけ、工房の扉を開いたのだ。ワークショップ・見学、そしてデザインへの参加という方法で、より多くの人に開放することで、新たな試みをするための勇気を一緒に生み出した───福井人の祖先が農業における自然の制約を覆し、未来における多くの可能性を生み出したように。
OEMでのブランドの転換は容易ではなく、ゆっくり磨きあげる時間を要する。近年、谷口眼鏡は「手塩 Tesio」を立ち上げた。「手塩」という言葉は丹念に準備するという意味で、高級ステーキに料理人が手で軽く塩を刷り込み、ステーキの口当たりを注意深く整えるようなイメージだ。このように"念入りに仕事をする"ブランド精神を通し、手塩にかけて作る思いが世界に伝わることを私は望む。