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目覚めに見た観覧車と運命の輪 - 釜山から下関へ ー

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釜山の旅の記録を書き残します。

光の航路と虹を見た日 ー 釜山にて|bijou blanc|note
ネガティブな感情の刷り込みがない世代同志の、清らかに紡がれた友情 - 釜山にて|bijou blanc|note
落とし物の意味 ー 釜山にて|bijou blanc|note
迷い込んだ街 ー 釜山にて|bijou blanc|note
ひとことにまとめられた、その向こうにある情景 ー 釜山にて |bijou blanc|note
続きです。
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偶然なのか、必然なのか。
釜山から下関行きのフェリー “はまゆう” に乗船する。

ようやく帰国への道を辿れることになった。

2月の冷たい空気は、透き通り、澄み渡る。
“はまゆう” が港を発つ時、思いがけない宝物をもらった。

釜山の光を集めた、美しい夜景。

船のデッキから、アイフォンで撮った夜景の空に、明るく光る、ふたつの星を見つけた。

私の祖先たちも、星と星を繋ぐようなこの航路を辿り、大陸と日本を往来したに違いない。

見送ってくれた美しい夜景に高揚しながら、釜山港をあとにした。

そして、客室のベッドの中で、波に揺られ、深い眠りに落ちた。
その日は、太陽と月が重なる、新月の夜だった。

・・・☆☆☆

深い眠りから目が覚めた。
客室のカーテンの隙間から弱い光が差し込んでいる。

カーテンを開けた。

陸地が見える。
日本だ、と思った。
輪を描く、観覧車が目に入る。
下関・唐戸の観覧車だ。

朝の6時を過ぎたばかりの朝焼けの中で、
「やっと帰れた!」と、LINEの家族のグループに書き込み、観覧車の画像を送った。

下船する頃には、朝日が眩しくなっていた。
入国手続きの聞き慣れた日本語に、安堵する。
こんなに日本語の響きに安心感を覚えたことはない。

引き揚げの荷物をピックアップし、あらかじめ釜山から手配したレンタカーの手続きを済ませ、帰路に就く。
波の上から見たあの観覧車と、グーグルマップを交互に見ながら、まずは関門トンネルを目指す。
トンネルを貫けたら、門司港レトロに立ち寄ろう。

門司港レトロの駐車場に車を停めると、穏やかな海を挟んで対岸に下関が見える。
目覚めたときに見た、観覧車が見える。
間にある海は、泳いで渡れそうな距離だ。

門司港レトロのマップを手にし、駐車場から一番近いスポット、旧門司税関へ向かった。
煉瓦造りのレトロな建物の中では、税関の歴史が展示されていた。

下関港や門司港は、明治以降、大陸からの門戸としての役割を担っていた。
下関の唐戸という地名は、中国の唐と門戸の戸からきているのだろうか。
釜山とのかかわりも深い。
明治の時代、下関港や門司港周囲には塩田が広がっていたという。
そして、石炭産業の前は、塩が花形産業だったことを知る。

義曾祖父は、大陸と日本を繋ぐ、塩の運輸に関わる事業を起こしたが、最後はその事業が立ち行かなくなり、対馬でその生涯を終えたと聞いていた。

現在主要なエネルギー源である石油も、その終わりが唱えられつつある。
その前のエネルギー源であった石炭の、それにかかわる産業は、興隆と衰退の歴史を経た。
塩の産業も、同じくであっただろう。
興隆しては、衰退の時を迎え、また次の新しいものが生まれる。

タロットカードの運命の輪と、今朝目覚め時に目に飛び込んできた観覧車が、私の中で重なる。

いい時もあれば悪い時もあり、起きることは偶然ではなく必然である。

そして私たちは、門司港レトロをあとにした。
レンタカーで福岡市内の自宅に到着し、引き揚げの荷物を自宅に運び込んだ。


今回のレンタカーは、下関から福岡の営業所までのワンウェイだ。

福岡の営業所に返却をした後は、最寄りの電車の駅から自宅に戻る。
駅に到着し、時刻表を確認すると、ちょうど1分後に電車がある。
ちょうどいい、間に合いそうだ、それに乗って家に帰ろう。
改札にスマホをかざし構内に入り、乗り場までを急いだ。
乗り場にあがるエレベーターを利用しようと思った時、点検中の札が掲げてあり、使えないことに気付く。
仕方なく少し先にある階段にまわってかけ上り、乗り場ホームに駆け付けた。

すでに到着していた電車の扉が閉まり、目の前で発車した。

この旅は、どこまでも、何かにタイミングを変えられる。

この電車に乗れなかったことも、何かの意味があるのだろうか。










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