水の記憶
7月の初め、長女に誘われて福岡アジア美術館を訪れた。
彼女は映画館のメンバーズカードを落とし、それを探しに行ったショッピングモールで、福岡アジア美術館のフライヤーを見つけたという。
長女が当初誘ってくれた展示会は、もちろん素晴らしかったのだけど、
その隣の展示会場で、私たちはまた、何かにたまたま出会うことになった。
私たちは、その企画展示のことを知らずに、そこを訪れた。
現在開催されている、世界水泳福岡大会の記念展ということで、アーティストの方々の「水」にまつわる作品が展示されている。
作品を鑑賞しながら、順路を進んでいく中で、
韓国語のわかる長女が、
「韓国語が流れてて、『トンジュ』って聞こえた。」という。
韓国語が分からない私の耳には、韓国語が流れていることも、『トンジュ』という音も、キャッチできなかった。
私たちは、長女のセンサーにかかったその音が聞こえる方へ引き寄せられた。
そこでは、スクリーンに映像が流れていた。
日韓併合時の釜山のことに触れる映像作品だった。
その内容は、私たちの家族の歴史と重なる。
「トンジュ」
私たちは、今年の3月、先祖が教員を務めたと伝え聞いていた釜山商業実践学校の流れを汲む、「東洲(トンジュ)女子高校を」訪れていた。
私たちは、スクリーンの中に引き込まれた。
夢中になって、2クール流れる間、その場を動けなかった。
体感で10分程度の作品かと感じたけれど、実際は30分程度のものらしい。
作品映像の中に、日韓併合時の釜山の地図がでてきた。
その地図の中に、長女は、私たちの苗字を見つけた。
今年の冬の終わり、私たちが迷い込んだ、あの場所に。
その後、その作品が山内光枝さんの「信号波」だということを知る。
そして後日、作者の山内光枝さんのアーティストトークが開催されることを知り、夫と長女と3人で参加をした。
山内さんが、作品を制作するに当たって関わった方々と、「人と人」として関わってこられたこと。
そして「水」の映像からは、私たちヒトが、海から陸へ上がって生きる進化の過程を、想像した。
みなもとにかえると、私たちはみな、「ヒト」と「ヒト」なのだ。
私なりに作品から受け取ったメッセージは、直接、山内さんに届けたい。
そして私たちは、山内さんのお話の中で「引き揚げ3世」という言葉を初めて聞くことになる。
そして長女は、自分が「引き揚げ4世」であることを、はじめて自認する。
義祖父の生まれたあの場所に、図らずしも訪れることになったあの日。
長女はペイカードを落とし、それを見つけに行く途中だった。
その日の明け方、夢うつつの中で検索したスマホにヒットした「おざなりにしていることへの警告」というワードが、私の中に再び蘇る。
私の自宅からは、博多湾が見える。釜山へ続く海だ。
私は子どもの頃の水泳の授業や海が、すこし怖かった。
でも、水の湧き出る場所や源泉に、とても心を引き寄せられる。
かたちの定まらない水に記された過去の記憶。
手と手を丸くしてつくった器に、水をすくって、かたちを与えてみる。