終わってからも続く ~光州への旅の記録 光州ビエンナーレ・シンポジウム@福岡
福岡アジア美術館企画展「水のアジア」で出会った山内光枝さんの作品「信号波」に心を動かされ、送った1通の手紙。
その手紙をきっかけに光枝さんと交流をし、家族のことや、作品のことを話した。
光枝さんに実際にお会いして感じる人柄や、制作への信念のようなものは、私が「信号波」から感じ取ったそれと、同じだったと思う。
光枝さんが光州に行くことになったと聞いた。
そして、韓国語を勉強中の長女に、通訳者として光州に行くチャンスを与えてくれた。
若い長女に、未来の価値を見出すための投資として、チャンスを与えてくれたのだと思う。
その旅に私も同行させてもらうと決めた時、光枝さんがどうして光州で作品制作をすることになったのか、知らなかった。
偶然の出会いや流れに乗って、長女と二人、光州までたどりついた。
5.18光州民主化抗争記念式典の前夜祭にむけて、長女と光州に到着し、すでに滞在中の光枝さんと合流した後、初めて作品制作をすることになった経緯を聞いた。
今回の光枝さんの光州での活動は、9月7日から開催される光州ビエンナーレに向けてのものだったと、初めて知った。
開催に先駆け、7月に福岡市内で行われたシンポジウム。
私はシンプルに、光枝さんが日本と韓国の狭間で引き揚げ3世としてつくる作品に関心を持ってシンポジウムに参加したけれど、
登壇者の話や、交換される発言からは、
いろんな立場から、いろんな思いが、アートと絡み合っているのかなという印象を受ける。
シンポジウムが終了した後、参加者が引いた会場の中で、光枝さんと少しお話をした。
光枝さんが何気ない会話の中で、「終わってからも続く」と言った。
光州を再び訪れ、その終わってからも続く道を、確認したいと思っている。