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あの時、訪れていた場所

2023年春、再び釜山への旅に出た。
今回の旅は、夫や3人のわが子、そして親戚の10人以上のメンバーとともに行く、家族のルーツを巡る旅だ。


福岡空港を飛び立った飛行機は、あっという間に金海空港に到着する。
けれど、国境の存在は心理的な距離を感じさせる。
福岡から釜山は、東京よりも、大阪よりも、物理的距離は近いはずなのに。

降り立った金海空港の、冷たい空気に迎えられた。空気は冷たいが、日差しは眩しい。
三寒四温という言葉の通り、寒さと温かさが、行ったり来たりする頃だった。

家族の祖先が行き交ったであろう、釜山港の近くにステイ先を決め、港と街並みを眺望できる部屋をリクエストした。

私と長女は、この旅の少し前の冬の終わりに、たまたま義祖父の生誕地に迷い込み、そこを訪れていた。

ホテルからその生誕地へ、家族を長女のガイドで案内する。
そして、数代前の家族の祖先が、釜山で暮らし、その中の何人かが釜山商業実践学校に校長や教員などとして関わったという話を聞いている。
その学校が、現在の東洲女子高校の前身であることを、ネット上の下記サイトのおかげで知ることができた。
http://busan.chu.jp/korea/old/fukei/naka/kfk/jissen.html
今回の旅は、家族のルーツについての何かを見つけに、東洲女子高校を訪れよう。

グーグルマップで検索をすると、東洲女子高校は、義祖父の生誕地から徒歩圏内の場所にある。
この付近の地で、祖先の生活が営まれていたことが推測できる。
東洲女子高校のホームページに記された番号に、事前に見学をお願いするFAXを送っていたが、返信のないままにこの日を迎えた。
でも、とにかくその場所に行ってみることにした。

目指す東洲女子高校は、グーグルマップによると、釜山タワーのある龍頭山公園の横に位置している。

義祖父の生誕地から、一駅、地下鉄を利用し、南浦洞で下車をして、まずは釜山タワーを目指した。

駅から釜山タワーのある龍頭山公園へ続くエスカレーターは、青い光の幻想的なトンネルの中を貫いていた。

釜山タワーに到着し、自分の位置を確認する。
今いる公園の脇の道を挟んで、東洲女子高校があるはずだ。
公園の入口に行き、長女の韓国語で東洲女子高校を尋ねると、すぐそこだと指を指して教えてくれた。
今、私たちは校地敷地の裏側にいる。
ぐるりと坂道を下りながら、正門を目指した。

賑やかな街中に、東洲女子高校の正門はあった。
門の守衛の方に、事前に送ったFAXと訪問の目的を伝えると、ひとりの先生が校内を案内してくれることになった。
とても親切で丁寧な対応をしていただいた。

長女の通訳で、6階建ての校舎を見学した。
私の住む九州のほとんどの高校よりも、ずっとハイテクなことが印象的だ。
校内にある歴代の校長先生の写真も見ることができた。
そこで教員を務めた家族の写真を探してみたが、残念ながら家族のものはそこにはなかった。

見学の中で、家族の何かを発見することはできなかったけれど、
ハイテクな校舎が印象に残ったこの見学は、未来を見よという、先祖からのメッセージだったのかもしれない。そう思った。

見学を終えて、正門を出て、来た道とは反対の道を進もうとする。
その時、次女が、「この場所、前に来た場所だ。」と言った。
「あのイニスフリーで買い物をして、その横のカフェでかき氷を食べて・・」

そして、私の記憶も蘇った。

8年前、長女が韓国語を学ぶきっかけをもたらしてくれたYさんが、1年間、釜山駐在となった。
私はなぜかその時、Yさんを訪ね、長女を釜山へ連れて行かなければいけない気がした。
そして当時14歳と12歳だった長女と次女を連れて、3人で釜山を訪れた。

初めての釜山の旅は、Yさんの案内に頼りっきりで、自分の見た場所の地名もよく認識していなかったけれど、確かに、ここは、あの時訪れた場所だ。

8年前、家族のルーツについては、ほとんど知らなかった。

ただ、長女の興味から繋がった縁で、私たちは、8年前に、すでにこの通りを訪れていたのだ。
先祖が生活を営んだ、この通りを。

三寒四温という言葉の通り、寒さと温かさが、行ったり来たりする時期、戻ってきた冷たい空気が頬に冷たい。

呼び戻された時間が、私の中で行ったり来たりしていた。