見出し画像

何かに呼びもどされて 3

何かに呼びもどされて 1
 何かに呼びもどされて 2
 からの続きです。)


取り壊し予定の校舎の棚の中に眠る、「装苑」「ドレスメーキング」。

全てを取り出す作業に着手することになった。

どのくらいの間、この「装苑」と「ドレスメーキング」達は、ここに眠っていたのだろう。

大量の埃をかぶっていて、作業中は咳が止まらなくなるほどだった。
途中で埃除けのマスクを準備し、よごれてもいい服に着替え、取り出し作業を続けたほどだった。

埃に負けず、棚の奥まで掘っていく。
すると、お宝が、出てくる、出てくる・・・。

掘り出したそれらを、ついついめくる。
面白くて止まらなくなり、なかなか作業も進まない。

全て取り出すのに、どのくらいの時間がかかっただろう。

そしてついに、すべての棚の中にある雑誌を取り出した。


棚が空になった。

そこにあったのは、1930年代~1980年初頭までの、「装苑」と「ドレスメーキング」だった。

装苑 ドレスメーキング Wikipediaより)

2種類の月刊誌、約50年分だから、ざっと計算しても、1000冊以上。
ほぼ欠刊もなさそうだ。
さらに臨時増刊号や、実物大の型紙も、棚の中からザクザクでてきた。



1冊ずつ、雑巾で誇りを拭き、発行年と月順に並べた。
全部取り出した、約50年分の「装苑」と「ドレスメーキング」を、
実習室の机の上に並べてみた。
あまりにも迫力があった。
そしてあまりにも、掲載された当時の服装が新鮮に映る。可愛い。
(その時の様子を写真に収めたけれど、取り出した当時にSNSでその画像をアップしたところ、著作権侵害に当たると警告が入ったので、ここでは割愛。)

時系列に並べてみると、戦前に洋装が生活の中に取り入れられて、その後、家庭内で洋服が作られるようになった歴史や、昭和の流行の服を取り巻く文化の流れが見て取れる。

救出作業をした当時、時を同じくして、NHKの朝の連続テレビ小説では「カーネーション」が放映されていた。
デザイナー、コシノ3姉妹の母で、ご自身もデザイナーの小篠綾子さんの生涯を綴った物語。
日本の洋装の歴史と、その時の日本が映し出されたドラマだった。
その中で、次女のコシノジュンコさんが史上最年少で装苑賞を獲得したシーンがあったが、救出した装苑の中には、実際の受賞に関する記事や作品が掲載されている号もあった。


・・・明日に続きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?