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どこかの誰かの仕掛け
会社員とし服飾雑貨の企画に携わった約四半世紀前。私は当時20代だった。
会社からは売り上げを作ることを求められていたので、流行やトレンドをチェックして、そこから売れる商品を企画するつもりだった。
情報は、今のように簡単にネットから情報を得られなかったから、紙媒体のファッション雑誌を読みあさっていた。
ファッションや美容業界で働く人向けの勉強会みたいなのにも参加した。
その勉強会の中で、「見るべき雑誌、見なくてもいい雑誌」というテーマで話を聞いたのを思い出す。
「見るべき雑誌」には、パリコレなどのハイファッションを掲載した雑誌。日常着としては着られないかな、手が届かないかな、と思うものばかりが掲載されていた。
「見なくていい雑誌」は、本屋に山積みして売られている類の雑誌。すぐにでも買えそうな、身近に感じるアイテムが掲載されている。
私はその当時、「見るべき」と、「見なくていい」の、理由が分からなかった。
正直、当時20代の私にとっては、「見なくていい雑誌」に分類されるものの方が、分かりやすくて馴染み深かった。
だけど、今振り返って思う。
「見るべき雑誌」に分類されたものが源流付近となり、それらを真似て作られたものが、流行やトレンドになって川下まで流れ、一般の消費者に届く流れになっているのかな、と。
だから、売り上げを作るために商品を企画する人は、源流付近を見るべきだというアドバイスだったのだと思う。
その当時の私には、結局、流行の作り方とか分からなくて、流行なんて作れもしなかったのだけど、その後、売り上げを作ることを求められる会社員を退いても、流行って何だろう?みたいなことを考えていた。
そんな意識を持ちながら年齢を重ねていくうちに、身の回りの服における流行の法則が、なんとなく見えてしまったような気がする。
どこかの誰かが作っている流行の源泉から流れ出たものが、若者向けの服へ、中年向けの服へ、子ども用の服へ、ついには高齢者用の服へも流れる。
丈の短いスカートが流行った後には、トレンドはだんだんと長くなり、MAXまで長くなるとまただんだんと短くなる。
今は、トップスの肩の位置が低いところで切り替えられている服が多いけれど、これは今後、だんだんと正規の位置に近づいてくるのかな。
20年おきに流行は巡るというのも体感した。
2000年代には1980年代ファッションが。2010年代には1990年代ファッションがリバイバルし、リアルな1980年代~90年代を生きていた私は懐かしさを感じながら、循環する流行の法則的なものを観察、確認した。
流行色は、2年前に国際流行色協会で決められるということだけど、実際、決められた2年後にはその色を街中でよく見かける。
情報源は、雑誌やテレビに出る芸能人とかから、ネット上のインフルエンサーになった、とか変化はあるけれど、
どこかの誰かがしかけたものに、みんなと一緒でありたいと思う社会の構成員の無意識が、迎合していく。
それが流行なんだと、解釈した。
そして、流行の対極にあるずっと変わらずにあるもの。
それは何だろう。次はそれを問うている。
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