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小五で飛び降りた話

前回の記事で長女が、おうち組(不登校)だと書かせていただきました。
私は、この娘の状況を比較的ポジティブに考えています。

その理由は、私自身も小学五年生の時に不登校だったんです。
そんな自分の経験があるからそう思えるのかもしれません。

なんの因果か?親子で同じ時期になるなんてw

実は私、超ネガティブ人間でした。数十年色々苦しんできました。
その元凶になった出来事をお話ししようと思います。

遡ること30年ほど前…。
田舎の小学校。児童数も少なく女の子は10名程しかいませんでした。
もう察しのいい方ならお分かりですよね?

そう、いじめです。

休み時間に「かくれんぼしよう!」と言われ、私は強制的にオニ役💦
「もういいよ~」と言われ、探し初めてもなかなか見つからない。
とうとう休み時間が終わって仕方なく教室に帰ると、みんな座って平然と
授業の準備をしていました。
そう。隠れてた訳ではなく私がオニで一人になった隙に皆とっくに教室に戻り、「いつ気付いて帰ってくるか?」クスクス笑いながら待っていました。

でもこれはほんの一部。毎日の嫌がらせや悪口…
それでも何とか休まず通った小学4年生。
もともと活発だった私の性格は、自尊心がどんどん無くなり
大人しくなり、YESやNOがはっきり言えなくなりました。

年度が変わり小学5年生になりました。
ここから更に地獄のような日が始まります。

当時の担任はプロレスラーのように大きな体で
威圧的な態度をとる先生でした。

察しのいい方ならお分かりですねw?

そう、体罰です。

まぁ酷かった💦克服したつもりですが、こうやって文章に書くのは、   やはりまだシンドイものですね。

恫喝されたり、給食は強制的におかわりの謎ルール、蹴り飛ばされる、  3階の窓から教科書を捨てられる などなど
これ、今も昔も完全にアウトのやつですね💦

YESやNOがはっきり言えない私は、標的になりました。

そんなある日。
朝起きると行きたくなくて、意図的に発熱して休む理由を作り、夕方も明日が不安でまた意図的に発熱する。

その様子を見た母は、暫く学校を休ませることにしてくれました。

当時の私は、恐怖と不安で毎日布団を被って籠っていました。

前年からのいじめと今回の体罰で、自尊心はズタズタ…。
なんで私なんか生きているんだろうと思っていました。

自室の窓から空を眺めている事が増えてきました。

「鳥のように飛べたらなぁ…。」

二階の屋根から飛び降りていました。


でも、安心してくださいw
田舎の古い家です。めっちゃ低いし、下は畑でふかふかの土。
田舎の活発な子。
綺麗に着地しました。

無題

ジンジンして汚れた足。久しぶりのリアルな外の世界。
少し我に返った気がして、気まずくなったのを覚えています。

こんな苦しいからって死んでしまったら、【嫌いな先生一色】に支配されて  私の人生が終わってしまう。そんなの悔しい!

じゃぁ、先生を呪い殺してしまおうか?
いやぁ、それじゃ先生の奥さんや子供に申し訳ない。

じゃぁ、自分が死んだつもりになったら?なんでも出来るんじゃない?

ふと心の奥底で思いました。

時を同じくして、教頭先生が家に来るようになりました。
ただ縁側でお茶を飲んで軽く喋って帰る。
ただそれだけ。

最初は学校に関するものは全て拒絶していましたが、毎日来る教頭先生を
少しずつ受け入れていました。

そんな事が数か月 続いたある日、ドライブに行こうと誘われました。
車に乗ると、同じ状況で行けなくなった同級生の男の子が乗っていました。

ただ当てもなくドライブ🚙 
赤信号に引っかからずにどこまで行けるか?
なんてゲームをしながら。

平日は毎日ドライブになりました。
ラーメン屋さんに連れて行ってくれたことも。

注文は男の子がして、レジで支払う係は私だった。
きっと、人と喋る事が苦手になってた二人のためにリハビリをしてくれていたんでしょうね(´;ω;`)

外に出ることに抵抗が無くなっていた秋頃、
学校の空き教室で過ごせるようになっていました。

最後の終業式の日にやっと教室に入ることができ、
6年生では担任も変わり普通に教室に通え無事卒業することが
出来ました。

教頭先生、保健室の先生、給食の先生方に本当に支えて頂きました。 
 (あえて小学生っぽい呼び方でw)
そのお陰で、自分の未来も少しずつ見えてきました。
ううん、正確に言うと この先も生きててもいいんだ!と思えるように   なったんです。

その後は、中学・高校・大学・就職と進んでいきました。
しかしこの時に受けた心の傷は、その後もなかなか癒えることがなく
苦しい思いもたくさんしてきました。
でも、なんとか生きてこれました。

「一回死んだつもりなら、なんでも出来るかもしれない」

心の奥底にこの思いがあったから…。

今振り返り、当時の私に声をかけるのならば
・よくあの状況から逃げた!偉い!
・自分をそんなに責めなくてもいいよ!
・もっと堂々としてていいよ!
・外に出ても大丈夫だよ!
・勉強できなくても大丈夫だよ!
・なんでもいい、夢中になれる好きな事見つけなよ!

ですかね…。あれ?今の自分にも言えるゎw

冒頭にもある通り、長女もおうち組(不登校)です。
私の時と理由は違えど、よく自分が苦しいと思った状況から逃げられた!
家に居ながらも夢中になれることをやっている!
孤立せずに先生やお友達といい関係で繋がっている!
確実に自分のペースで進んでいる!

我が娘ながら本当に尊敬しています。

私のこの経験は、出来ればしたくなかったです。でもしょうがない。
心の傷も癒えてきたとは言え、まだまだ修行中な感じです。

この経験を糧に自分らしく、楽しんで、いつからでもスタートできる。
そんな人生を送りたいと思っています。


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